SD戦国伝 諸事考察

・天下統一編時代の世情

 荒裂駆主による歴史改変前における、『天下統一編』時代の世情について、推理してみる。

 まず、この時代の重要登場人物である、百ノ進に注目したい。

 彼は、後に『字音大君』と呼ばれる事となる人物であるが、彼には『貴族』という肩書きがある。(『元祖!SDガンダム』参照)

 さて、『貴族』とは何であろうか。

 この件に関する資料は極めて少ない。劇中での百ノ進は、予言書『光の巻』の解読や『璽威武装』の製作など、

 学者的な活躍を幾つも為しているが、彼自身に関する描写は為されていなかった。

 また、この時期の天宮の社会構造は全く判っておらず、他に『貴族』と呼ばれる者、そうであると思われる者は

 劇中にはほとんど確認されず、『貴族』について具体的に記されている資料は存在せず、正史中で貴族と呼称されているのは、この字音大君そして仁宇の父なる人物の二名のみである。

 よって、以下に述べる事は、私の直感と思い込みに依存する説である事をあらかじめ御了承願いたい。

 『貴族』とは、戦国伝世界においても中世日本と同様の物であったと考えてはどうであろうか?

 イメージ的には日本の一二世紀後半をそのまま適用してはどうだろう。

 つまり、当時の天宮において権力者は武士では無く、その『貴族』だったのでは無かろうか。

 そして、鳳凰や殺駆など、『武士』は、本来それら『貴族』に従い、領地の守護や新たな領地を得るべく戦いを行う、

 戦闘専門の氏族だったのでは無かろうか?

 こう考えると、様々な事が見えてくる。

 戦国伝の歴史では、この後から長くに渡って武士による政権が続き、その点でも日本の歴史と類似している。

 という事は、戦国伝の歴史においても、恐らく鳳凰の時代かその若干後に、貴族と武士の権力の逆転が起きたのだろう。

 先に述べた貴族・字音大君は、暗殺により果てたという。

 貴族と武士の間の、何らかの勢力抗争の結果である、と見ても差し支えないのではなかろうか。

 さて、日本においては、貴族(公家)は衰退しつつも、しばらくの間は名目上ながら武士の上に立つものとしての立場を維持し続けており、

 貴族の頂点たる『天皇』を最高権力者と崇め、武士は名目上、天皇より政を預る身分、という事になっていた。

 天宮ではどうであろうか。

 一例として、字音大君の子、百士貴が挙げられる。

 彼は幼少の時分に父を喪った際、雷の元に引き取られている。その詳細についてはここでは置くが、

 武士として元服した彼の名、『百士貴』、この意味する所は、『百人の武士の内で最も高貴な者』との事だ。

 という事は、少なくともこの時代においては、武士に実質的な権力を奪われた後であっても、貴族が通常の武士より高貴である、

 という認識が一般に認められていた事になるだろう。

 やはり、日本と同様、貴族は名目上の地位だけを残して、緩慢に歴史の表舞台から去って行ったのだろう。

 『天皇』に関してはどうであろうか。

 中世日本における『天皇』とは、名目上、『現人神』であるとされていた。

 非常にかいつまんで言えば、日本を創造した神の末裔であると崇められていたのだ。

 天宮においても、執政者が『神』の名を借りる事は十分に考えられる。

 ただの豪族では無く、統治者にふさわしい者である事を示す名目があれば、統治はがぜん容易になるのだ。

 この場合における『名目』とは、伝承に残る『天空武人を祭る宮』と無関係では無いのではなかろうか?

 恐らく、当時の天宮に於いて現存したであろう『宮』を、管理し祭り立てる役を追った祭司的な一族が居たのでは?

 つまり、彼等が『貴族』の頂点であり、彼等、または彼等の血統とそれに従属する者達が『貴族』なのではなかろうか。

 彼等は、『宮』を祭り、事の吉凶を『神託』として占うようになり、次第に『天空武人』の代行者としてまで扱われるようになっていった。

 しかし、ある時期より、天宮には本物の『天空武人の使い』が現れる。

 『天の将』鳳凰頑駄無である。

 鳳凰頑駄無は、(経緯は不明だが)天空武人の頂点と言われる『天帝』、その加護を授かる『天帝の神器』を身に付けた『天の将』であるのだ。

 彼自身は、間も無く『大将軍』として黒魔神との戦いに敗れ、果てている。

 だが、真の『天の使い』の出現は、時の執政者の統治の名目を著しく侵す事となったのでは無かろうか。

 しかも、その『天の使い』は支配階級たる貴族では無く、従属者であるはずの武士であったのだ。

 武士が権力の奪取を目論んでいたなら、この事実を積極的に利用したはずである。

 この後、戦国となりうる火種を天宮が孕んだのも、真の『天の使い』として現れた武士・鳳凰、それにあやかる形となって

 増大したであろう、武士の権力、そして鳳凰の急逝、それらが関わり合っていたのではなかろうか。

 完全に武家政権となった後、長い戦国の時代を経て天宮の頂点に立ったのは、御存知の通り、頑駄無大将軍であった。

 戦国を勝ちぬき、天下をまとめ上げた実力も勿論、紛れも無い『天の使い』としての名目も立っていたゆえと言えるだろう。

 天宮が日本と決定的に異なるのはこの点であり、日本では、あくまで武士は天皇に仕える立場を固持し、最終的に天皇より勅許を得て開幕、すなわち事実上の政権を築いている。

 しかし、天宮では、従来の名目上の『天の使い』である貴族の地位を認めず、直接、大将軍が全ての権限を持って統治していると思われるのだ。


・字音大君

 さて、先にも例に出した『貴族・字音大君』だが、物証は少ないながらも、当時の情勢や原案と思われる日本の情勢との類推などから、

 事実に近い推論をする事は不可能では無いであろう。

 以下に、現時点に置ける『字音大君』に関する私の個人的見解を述べて置く。


 まず、『大君』という呼称に注目したい。

 これは日本においては、古くは正しく『天皇』そのものを指し示す言葉であり、また後には江戸幕府が外交の際、

 名目上の頂点が天皇、事実上の最高権力者が将軍、という日本独特の構造を諸外国に理解させる事が当時、困難であったが故、

 将軍が天皇を差し置いて『日本国国王』を名乗る事を避けて便宜上『大君』の呼称を用いたという事例もあるが、

 総じて日本では、そして恐らく天宮でも、偉大なる君主、という意味合いとして受けとめて良いと思われる。

 では、『字音大君』とは何者か?

 字をそのまま解するなら、天宮における『天皇』、貴族の頂点に位置する者であった、とは考えられないだろうか?

 『字音』は、後の『時隠国』との関連が予想されるが、ここでは仮に『号』、つまり呼び名であると考えておく。

 物語中での彼の立場に着目したい。

 鳳凰は、百ノ進に対して「おう、」などと、かなり軽く接している事が覗える。

 また、当時の貴族の標準的な姿が明らかとなっていない故、断言は出来ないが、あの場面での百ノ進の姿は、

 他の武者達と比較しても特別変わった物とは見えず、そして、後にはほぼそのままの姿で戦闘にも参加している。

 百ノ進は、少なくともあの場では、武士として描かれていたのでは無かろうか?

 否、恐らくこの段階では、名実ともに武士であったと思われる。

 貴族は、まず戦闘という事を行わない。それらは全て臣下の武士に任せているからである。

 だが、彼は貴族、それも最上位たる『大君』の座に付き得る人物なのだ。

 これを説明するには、こう考えてはどうだろうか?

 百ノ進は、大君の庶子であったのでは?

 すなわちこの場合、大君が正妻や側妻以外の、およそ御所に入り得ない身分の相手との間に設けた隠し子、という事である。

 そうした子を捨て置く訳にも行かず、特に信頼できる臣下の者を使い、極秘裏に武家の養子とさせたのでは無かろうか?

 養父となる武家には、忠実かつ裕福な武家が選ばれ、戦いを生業とする武士でありながらも、

 勉学に割く金銭と時間の余裕があった、と考えると、想定している百ノ進の像に附合する。

 では、正式な皇位継承権を持たない百ノ進が、何故大君となったのか。

 大君の座が空位となった時、通例ではその嫡子、もしくは兄弟が即位する事となるのだろう。

 先代大君に、子や兄弟がいなかったとは考え難く、御所の外からわざわざ庶子の様な身分の者が取り立てられるという事は、

 特別の理由が無ければ有り得ない事である。

 存在自体が伏されていたはずの百ノ進が何故に表舞台に上がる事となったのか、

 その理由として、百ノ進が暗黒軍団討伐に深く関わった事が挙げられないだろうか?

 暗黒軍団が当時の天宮にもたらした影響は大きかったと見られ、その討伐に関わった武家は高く評価された事であろう。

 『光の巻』の解読や、戦闘への参加など、重要かつ積極的な役割をこなした百ノ進の名が天宮に知れ渡った事は間違い無い。

 すると、彼の不自然な素性も浮上し、真相が暴露される事も充分考えられる。

 さて、もしこの時期、何らかの理由で当時の大君が急遽退位、もしくは逝去していたらどうであろう?

 大君の兄弟や子の間で熾烈な後継者争いが起きても不思議ではない。

 そして、その争いに一枚噛みたい者にとって、天宮中にその名を知らしめた百ノ進を利用しない手は無いであろう。

 恐らくは、武家、もしくは武家と手を組む貴族であろうと思われる。

 百ノ進が、当時の大君の子であったのか、兄弟であったのかまでは分からないが、

 いずれにせよ、結果的に他の候補を退け、百ノ進は皇位を継承し『字音大君』の号を名乗る事となる。

 だが、これまでの経緯において、この即位が多くの敵対者を生んだことは説明に及ばないだろう。

 後に字音大君は暗殺される事となる。

 その暗殺、という事も絡め、字音大君の思惑について推測してみる。

 この時代は、繰り返し述べているように、貴族政権の衰退と、それに代わり武家の台頭する時期である。

 字音大君は、自らを後援した武家の過剰な期待と、朝廷内の圧力の板挟みになっていた、と思われる。

 しかし、このような政治的な問題ばかりでは無く、字音大君は『闇』の目撃者の一人でもある、という事を忘れてはならない。

 暗黒軍団の侵攻も、彼等の闇の力の存在も紛れも無い事実であるが、

 果たして、それを実際に目の当たりにしていない者に、その真の脅威が伝わり得るであろうか?

 時の権力者達には、それは身内の利権争いと同列の、厄介事の一つに過ぎなかったのであろう。

 だが、それを直接見た者は違う。

 雷、殺駆、そして百ノ進、この三者は当時の権力者としては、『闇』を間近で目撃し生還した数少ない者なのだ。

 彼が大君としての力を得た時、特殊な立場を利用して両勢力間を立ち回り利権を得るような事も、

 また、安穏とした任期を過ごし、皇族の高い地位のみを確保して皇位とそれに伴う責任から早急に退くような事も、

 それを望んだならば、卓越した頭脳を持つ彼にとって、決して叶わぬ事では無かった筈である。

 しかし、彼にはもはや分かっていたのではなかろうか?

 そのような些細な私欲を叶えた所で、全く無意味である、という事に。

 闇を知ってしまった者が、真に心の平静を取り戻すにはただ一つ、闇を払拭する事のみである。

 彼は、大君としての権威を最大限に行使し、武家と公家(貴族)の争いを打ち切らせようと試みたのではなかろうか?

 もしかすると、その為に進んで大君となる事を求めたのかもしれない。

 闇に打ち勝つには、内輪揉めに力を費やしていてはならないのは、半ば自明のことであろう。

 そして、それが彼を暗殺に至らしめる、大きな要因の一つであったのだろう。

 恐らくその方策は武家公家いずれかの、或いは双方の期待を裏切り、強い反感を買うものであった事もまた想像に固くないのだ。

 どちらの勢力がそれを行ったのかは、はっきりさせる事は出来ない。

 しかし、結果的に字音大君は果て、天宮は戦国への道を歩み出した。

 それを行った者の思惑がどうであったのかはともかく、この一件によって、公家の権威の土台はいよいよ揺るぎ、

 崩壊へ向かわせたのでは無かろうか?

 前述の通り、字音大君が即位するにあたり、対立候補は多数存在したと思われ、

 字音大君の死後、それらの者達とその後援者達の間で再び大きな権威争いが繰り広げられたものと思われる。

 だが、それらの者達が果たして字音大君と同等か、少なくともその意図を理解し得るだけの器を持っていたかどうかは甚だ疑わしい。

 争いは泥沼化し、上に立つ者と従う者の思惑と共に国中に波及する事となったのだろう。

 その過程で、潜在していた公家同士、或いは各国の守護大名間の対立も浮き立ってくるはずだ。

 そして、時の公家や新たな大君に、もうこの争いを止めるだけの実権も統率力も無かったのであろう。

 天宮は字音大君を喪った事で、大きな回り道を強いられる事となったのだ。

 だが、それはある見方では時の必然、当時の天宮が避けられなかった道である、とも言えるのであろう。


 ここでは余談となるが、字音大君の子、という記述の残る者がいる。

 百士貴、百鬼丸の兄弟だ。

 先の推論の沿線で考えれば、彼等は大君の実子、皇子という立場にある筈である。

 そして、当然の如く父同様に命を狙われる事となるだろう。

 たとえ、その代に継承権が巡ってこない立場だとしても、父を殺された怨恨は消えないだろう。

 いや、恨みが有ろうが無かろうが、字音大君の子、という危険因子はもはや御所内では生きていけないのだ。

 彼等は、そこに如何なる過程があったかは定かではないが、それぞれに字音大君の旧知の者に託される事となる。

 兄百士貴は雷頑駄無の元に。弟百鬼丸は殺駆雲斎の元に。

 彼等はその後、父の様に貴族に帰り咲く事は無かった。

 彼等が成人する頃には、貴族の時代はもう終わっていたのだ。


・三国の言語

 天宮(あーく)、影舞乱夢(えいぶらむ)、赤流火穏(あるびおん)、この三国では、古くから国家を越えて個人レベルの交友が行われている。

 しかし、劇中の場面を見ると、彼らが言語のギャップに苦慮している場面は見受けられない。

 武神頑駄無は、その来訪時期が特定できない為、『天下統一編』月見ヶ原の戦で鳳凰達と会うかなり前から、少しずつ現地語を学んだ、という線があるが、

後の『地上最強編』において、黒守暴穏島(くろすぼおんとう)に集結した三国の武者達は意思の疎通に苦慮しなかったのであろうか?

 考えてみれば、以外と手振り身振りだった可能性が濃厚だ。

よくよく思い返せば、彼らが会話している場面は無く、途中からは通訳もこなしてくれそうな『光の三人衆』が加わっている。

 大光帝の像の周辺までは、如何にも怪しそうな場所であるゆえ、誰が言い出すともなく皆でぞろぞろ歩いていったのだろう。

 そこからは『三人衆』が各国の言語で具体的な指示を出す。そして見るからに禍々しい連中が問答無用で襲ってくる。戦う。

 ・・・まさしく、「問答無用」。

 そして、戦いが終わった後にゆっくり、『三人衆』の手引きなり、四苦八苦のボディランゲージなりで互いの事を語り合い、別れて行ったのだろう。

 この後の時代には三国間の留学等も盛んに行われており、天宮からも幾人もが他の国へ修行や留学に赴いており、また影舞乱夢、赤流火穏から天宮へは、王族が訪れる事もあるようだ。

(白龍や阿修羅も、「伝説の大将軍」編では流暢な天宮語を話している。)

 留学する者達が、事前に相手先の言語を学んでおくのは何ら不自然無いし、現地で覚えることも出来るだろう。

 さらに後の時代には、輝龍(きりゅう)の他、真紅主(まっくす)、鷺主(ろうず)、冒流刀(ぼると)など、更に遠い国の者達も訪れる事となるが、以外にも、真紅主以外はかなりきれいな天宮語を話しているようだ。

 輝龍など、ややこしい他国の言語など覚えそうに無いように思えるが、アレでも一応、影舞乱夢の使者という身分で来訪しているし、

いくら龍帝の側近のツテが有るとは言え、唯の暴れん坊なら留学は許されなかったろう。


・厳戒の弓・邪滅の矢
(げんかいのゆみ・じゃめつのや)

 物語中、何度か登場するこの弓矢。武器として、また『天下統一編』では初代頑駄無大将軍の真の力を発動させるキーアイテムとして使われていた。

 設定名称としての初出は、二代目将頑駄無であろう。劇中で具体的に使用された事は無かったが、おそらく武器として使用されていたと思われる。

 そして、『天下統一編』で、過去に武神頑駄無が同名のものを所持していた事が明らかとなる。

 さらに『天下統一編』終盤において、殺駆(ざく)を射抜いた矢から出現した弓矢・・・こちらは二代目将頑駄無が持っていた物と同様の形状をしており、キーアイテムとなったのはこれである。


 さて、どういう事か?

 キーアイテムとして用いられた『邪滅の矢』は、二代目将頑駄無・精太(ぜいた)が武器として用いたものと同一なのであろうか?

 当初、精太の物は、大戦後に彼が入手した『麒麟の神器』(きりんのじんぎ)に含まれる『麒麟の弓矢』が変化したものと思われたが、どうなのだろうか?

 また、武神が所持していた、将頑駄無精太のそれとは形状が全く異なる弓矢は何なのであろうか?


 考察する上で注意を要する点は、荒裂駆主による歴史改変により、邪滅の矢の出現自体も、歴史改変前後の時間軸上で異なった経緯であると考える必要がある。

 まず、大別して以下の3例が挙げられる。

仮説1・全て同一

 武神が持ちこんだ弓矢は、その後なんらかの経緯で彼の手元を離れ、年月と共に形を変え、あるいはその過程で麒麟の神器に組みこまれたりしつつ、精太の手元に。


仮説2・全て別物

 この場合、名称が同じなのも単なる偶然、もしくは、以前の物を後に模した、などの理由だろう。


仮説3・武神の物のみ別物

 何と言っても、形が共通というのは無視出来ない。

 時間軸によって出現の経緯が異なるだけで、形が共通な2組は同一の物と考えられる。

 名称などに関しては仮説2と同様である。


 はっきり言って状況証拠が希薄過ぎ、どうにでも解釈できる、という現状である。

 私的には、やはり一番面白味の有る仮説1を採用したい。

 最初の物は、武神が持っていた物、それが、彼が影舞乱夢(えいぶらむ)より持ち込んだ物なのか、天宮(あーく)で入手した物かは分からないが、この際、更に私流を貫くならば、大将軍の起動キーとなる物を、仕掛けた『天界』がわざわざ影舞乱夢にまで分散させるとは思えない。

 安全措置として八つの要素に分けたものの、あまり離してしまっては集合が困難になってしまうだろう。

 そして、弓類の名手である武神は、それを当然武器として用いる。

 実際、その威力は凄まじく、必殺技『邪滅破』(じゃめつは)は、暗黒軍団が用いた巨大兵器『飛駆塞虫』(びぐざむ)の脚部を一矢にて爆散させている。

 そして、歴史が分岐する。

 まず改変前。
 時が経ち、武神が前線を退く際に手放し、相応しい継承者の手に渡るよう、手段を講じた。

 その結果が、麒麟の神器への組み入れであり(この辺りのくだりは全く資料が無い為、ただの想像であるので注意されたし)、結果的に精太の手に渡り、本来の姿を取り戻す。

 次に、改変後。

 こちらの時間軸では、何らかの理由で『邪滅の矢』が暗黒軍団の手に渡っている必要がある。

 おそらく、乱戦の内に失ってしまったのだろう。そして、その強力無比な『邪滅の矢』は暗黒軍団に回収され、利用される事となる。
 
 そして、その矢は虐風乱(ぎゃぷらん)によって放たれ、殺駆の眼窩を射抜く。

 だが、元々、邪気を滅ぼす為のものであったのか、所期の威力は発揮されず(されていたら殺駆の頭は木っ端微塵だったろう)、そして殺駆の血によってか、殺駆の身を呈した行為が神器に届いてか、(これも多分に想像頼りだが)邪滅の矢は新たな姿、或いは真の姿となって雷の手に渡る。

(変化前の『厳戒の弓・邪滅の矢』は、いかにも実用本位に見える。

 鏃(やじり)は腸繰(わたくり)付きの尖り矢で、これで誰かの額を射たら問答無用で死ぬ気がするが、変化後は鏃が儀礼用の鏑(かぶら)などに用いられる事の多い狩股(かりまた)となり、武器以外の用法に説得力が出てきた。

 やはり、何らかの封印が施されており、それを解かないと真価を発揮出来ないものだったのだろうか?大将軍の最終起動キー(?)だけ有って、安全装置が厳重だった?)

 そして、この後、改変前同様に精太の手に渡るか、他の道をたどるかは、もはや予測もつかない。


 この説の利点は、劇中いまいちよく分からなかった『天下統一編』終盤での『邪滅の矢』出現が上手く説明できるという事。

 おそらく、武神は自分が持っていたのがまさしく『邪滅の矢』であったとは思わなかったのでは無いだろうか?

 知っていたならば、鳳凰の軍勢はまず悪無覇域夢(あなはいむ)山頂を目指す前に奪われた邪滅の矢を探す方に戦力を傾けるだろうし、そうなれば、暗黒軍団側もそれが重要な品であると察して、実戦に投入せず何処かへ封印してしまうことだろう。

 隼頑駄無が、弓矢は悪無覇域夢山に有る、と言ったのは、暗黒軍団が『邪滅の矢』を回収したという情報を入手していたからか?

 虐風乱が用いた弓矢が2通りの外見のどちらとも違うのは、邪気を持つ者でも使用できる様、何らかの封印、或いは呪いを掛けた、と考えられる。

(所期の性能を発揮できなかったのはそのせいとも考えられる。)


 ところで、文中、面倒なので『厳戒の弓・邪滅の矢』とは呼称しなかったが、常に二つ一組で存在していたのではなかろうか?

 虐風乱が放った「矢」が、弓矢一組に変わる、というあの場面は、『厳戒の弓』と「邪滅の矢』は常に引き合い、常に一組、という裏付けと考えられまいか?

 相応しい持ち主の側に矢が渡った為、弓は矢の側に自然に移った、という訳だ。

 この理屈で、何故、消耗品のはずの『矢』を何度も使いまわせるか、という問題にも説明がつく。


・頑駄無明王
(がんだむみょうおう)

 二代目大将軍と闇皇帝の決戦の様子は、BB戦士No.44『頑駄無大将軍』同梱のコミックワールドによって詳細に描かれている。

しかし、『元祖!SDガンダム』(横井孝二 著)(以下、『元祖』)において登場する同場面では、一つの決定的に異なる要因が含まれている。

 それは、『頑駄無明王』と呼称される存在の記述である。

 ここで、『元祖』における闇皇帝との決戦の概要を述べておく。

 まず、正史と同様に闇将軍が倒れると共に闇皇帝の出現、そして、時を同じくして農丸の帰還。

将頑駄無の号令の元、武者七人衆、そして将頑駄無自らも、大将軍を囲む位置に付き、早九字、すなわち『臨兵闘者皆陣列在前』を唱える。

すると、大将軍の持つ『光の軍配』は発光しながら宙を舞い、そこに武者五人衆の鍬型が集まる。

軍配が梵字・”カーン”を宙に描くと、虚空より、『不動明王の鎧』なる物が出現し、二代目大将軍はそれを装着、これが、『頑駄無明王』である。

『頑駄無明王』は、大将軍の鎧の転じた『武者フェニックス』に騎乗し闇皇帝と共に雲を貫き高空へと消えて行き、そしてその後、地上からは、大爆発のみが確認され、『頑駄無明王』は闇皇帝と相打ちになったとされている。

『頑駄無明王』がはっきりと目撃されたのは、この時限りであるというが、その後にも幾度か頑駄無軍団に干渉し、時に試練を与え、時に力を授け、時には気紛れのままに騒動を起こす事すらあった、と言われている。

天地城落成の奉納として執り行われた模擬合戦、通称『天と地の合戦』においては、豹変した武者の戦いを止め、両者に昇進の許しを与えた、と記されており、『天と地の合戦』自体、明王の仕業ともとれる描写である。

また、後の新生武者五人衆である江須の生家の神社に祭られていたという四天王の鎧を運び去り、新たな継承者の下にもたらしたのも『頑駄無明王』であるとされている。

その際、明王の気紛れから、隼王天、『林』の鎧を精太が一時的に得た、という記述もある。

『元祖』においても、『頑駄無明王』に関する記述が成されているのはこの四天王継承の下りが最後であり、以降は確認されていない。

(補足までに、巻数としては第二巻である。)

以上の事を史実、即ち、上記『コミックワールド』と対比した場合、武者七人衆と光の軍配の関係や、闇皇帝との決戦の結末など、大筋では大差無い事が確認できる。

四天王の下りに関しては、精太が林の鎧を得たという記述を除いては、史実との矛盾点は存在しない。

問題は、やはり二代目大将軍が『頑駄無明王』として闇皇帝を討ったという記述であろう。


まず方向性として、『頑駄無明王』の実在の有無についてであるが、ここで改めて述べておきたいのは、筆者の方針としては『元祖』は伝承的資料として扱う、という事である。

伝承、即ち、事実を客観的に記録したものでは必ずしも無い、という事であり、時には、口伝や脚色により事実が覆われてしまっている事も考慮せねばならない、という事である。

この考え方を貫き通すならば、上記そのままの場面は史実には存在しないものである、という結論は既に出ている事になる。

ただし、この伝承が何処から生じたものなのかを検討するため、そして、万が一の可能性の検討として行う考察である。


『頑駄無明王』が実在した場合、それは、いかなる存在であるのか。

時の将頑駄無・雷は、『光の軍配』の軌跡より現れた『不動明王の鎧』を、「頑駄無一族の守護神」と呼んだ。

雷は、一連の動作により『不動明王の鎧』なるものが出現するという事、もしくは、『不動明王の鎧』そのものを知っていた事になる。

また、キャラクタ紹介パートにおいては、”頑駄無一族代々の守護神””二代目大将軍は、明王となった時のために力をためていた”などの記述も見受けられる。

一族の守護神、とはどういう事であろうか。

ここで思い出したいのが、雷、そして鳳凰が、『光の力』を手にしたのは、彼らにとってはまだ新しい出来事なのである。

”代々の”という表記を信じるなら、それは、雷らが『光』の力を、すなわち天地雷の三神器を手にする遥か以前より、という事である。

雷ら一族、ここでは『頑駄無一族』と呼ぶべきか、彼等が天地雷の神器以前より『頑駄無明王』なる存在の加護を持っていたという事になるのだ。

そして雷は、闇皇帝との決戦に際して、未だ不完全な光の『八紘』の力、『大将軍』の力では無く、この代々伝承されてきた『不動明王』の力で立ち向かった、という事であろう。

”力を溜めていた”という記述を信用するなら、雷や二代目大将軍は、最初から『大将軍』の力で戦う事を考えず、『不動明王の鎧』を用いる事を想定していた、という事となる。

預言書『光の巻』により、闇を討つ力とされている『天地雷』、そして『大将軍』の力は、『地』の将を欠いた事により不完全状態で黒魔神と相対し、敗北を喫している。

この敗北により、雷が『大将軍』や『光の力』に対する評価を低く見積もりなおしたと考える事も出来るだろう。

逆に、何故、対黒魔神戦においては、この強力な力を使用しなかったのか。

『大将軍』の力の過信か、或いは別の理由か、ここではこれ以上の追求は控える事にする。

『不動明王の鎧』を呼び出す所作も、代々伝承されてきたもの、と解釈する事が出来る。

この時、一同が唱えていた早九字、『臨兵闘者皆陣列在前』は、道教や密教などが由来、との事だが、ここでは詳細について省略し、邪気を祓うための動作、とかいつまんで解釈して問題ないと思われる。

着装対象者を八人で円形に取り囲み、それぞれ邪気を祓う印を結ぶ、という動作から、一種の結界を形成しているのでは、と推測できる。

正史における、『八紘の陣』を彷彿とさせるが、関連は不明。

正史における考察では、二代目の代における『八紘の陣』は、『真悪参』の出奔により完成せず、というのが今日の戦国伝考証の定説である。

先述の『天地雷』よりも古い、という説から、この『不動明王の鎧』出現の動作は、『八紘』とは別のものである事も考えられるが、しかし、天界由来の機構では、新世二代『飛駆鳥大将軍』や『天鎧王』等、旧四代『大将軍』以外においても『八紘』を用いている事から、同系列の機構である可能性もまだ捨てきれない。

しかし、その姿、武装の形態など、今日知られる旧四代および新世三代までの『頑駄無大将軍』、『天鎧王』『超機動大将軍』などの大型兵器類との類似点に乏しく、別系統に属する可能性もまた高いと言える。

『頑駄無明王』の存在を肯定する事は、天下統一編以前の歴史に関する解釈にも大きく影響する。

当サイトにおいて掲載している、『天地雷』登場以前には、天宮における絶対的権力は天空武神の神事を執り行なう貴族が握っていた、という解釈を掲載している。(時事年表、諸事考察・『天下統一編時代の世情』『字音大君』参照)

この『不動明王の鎧』の力を頑駄無一族が古来より有してたとしたならば、彼等がそういった権力を持つ事も可能だったのでは無かろうか?

『天下統一編』時代に関しては、鳳凰、雷らはそうした権力を有していたようには思えず、また、『黒魔神』との決戦時に『不動明王』の力を用いなかった事から、『不動明王』の力の顕現には、何らかの制限が伴うのかも知れない。

前述の、二代目大将軍が『力を溜めて』いた事も、それに関係がある、とも考えられる。

『頑駄無明王』の同一性に関する問題もある。

”代々”の守護神であったという記述から、闇皇帝の襲来以前にも、『頑駄無明王』が出現した事はあるのだろうが、その際の『頑駄無明王』は、やはり、二代目大将軍のように『不動明王の鎧』を装着して化身した姿だったのか、それとも、別の方法で現れたのか、という事である。

一説には、『頑駄無明王』は一個の『神』として存在し、『不動明王の鎧』は彼の装具であり、二代目大将軍はその装具を貸し与えられる事で『頑駄無明王』の力を限定的に行使していた、というものである。

この場合、二代目大将軍は、史実通り闇皇帝との決戦で死亡しており、後の伝承に登場する『頑駄無明王』とは別の存在である、という仮定も成り立つ。

また、『頑駄無明王』は、二代目大将軍のように『不動明王の鎧』を媒介としてのみ存在する『神』であり、『不動明王の鎧』を装着した者を『神』にする機構である、という解釈もある。

どちらにしても、これは”神降ろし”の一種である、と考えて支障ないと思われる。

”神降ろし”の儀式を実践的に伝承する”頑駄無一族”が、天宮における様々な事件の中心となることには、ある意味で必然性を感じさせる。

さて、次に『頑駄無明王』が実在しなかった、と考えた場合である。

この場合、一連の『頑駄無明王』に関する記述は、実在した二代目大将軍と闇皇帝の決戦の記録に脚色が施された物という事になる。

理由としては、やはり情報を伝播した人間による誤認、誇張、改変が考えられるだろう。

元々、実際に起きた出来事自体が十二分に神懸り的であった事から無理からぬ事と思えるが、その変化の内容は、ある種の宗教色を感じさせるものと言えはしないだろうか。

第三者による脚色が成されているという前提で一連の記述を見返し、脚色部分を要約すると、”頑駄無一族代々の守護神・不動明王が出現して闇皇帝を倒した”となるだろう。

全体的な流れにおいては、かなり史実に近いものであると言える。

すなわち、闇将軍敗北>闇皇帝出現>農丸帰還>『光の軍配』発動>大将軍強化>大将軍・闇皇帝、雲上で消滅、という一連の流れである。

詳細な描写の差異は、むしろ上記の脚色部分に合わせ、伝播過程において改変されたものと見られる。

この脚色、”一族の守護神の加護により敵を倒した”という内容は、言い換えてみれば、”一族の信仰により災いを退けた”という宗教的な概念が取り入れられていると読み取る事も出来るのである。

これは、天宮において『不動明王』と呼称される存在の信仰が存在し、雷らの一族もその信仰を持っていた、という物証になりはしないだろうか。

天宮における信仰は、『天空武神』がまず挙げられるが、これまでの考察と同様に中世日本の民族や文化との相似性を考慮すると、天宮も自然信仰を基礎に置いた多神信仰状態であったと考えられ、『天空武神』以外の、もしくはそこから派生した信仰が存在すると考える事も出来る。

『不動明王』も、そうした信仰の一つであろう。

記述されている『頑駄無明王』の姿も、恐らくは信仰されている『不動明王』を模したものであると考えられる。

日本においては、仏教は本来、外来宗教であったが、天宮におけるこの『不動明王』信仰は、如何なるものであったのだろうか。

十分な物証が存在しないため、詳細を考察するには至らないが、一つ、記憶に留めておきたい事として、赤流火穏国の文化がある。

国主を『阿修羅』と呼称する事、またその装具や装飾など、赤流火穏の文化には我々の知る『仏教』を髣髴とさせる要素が垣間見える。

我々の文化との相似性がここでも有効ならば、天宮における『不動明王』信仰も、赤流火穏、又はその地方を経由する大陸からもたらされた外来の宗教である、と考える事もできるだろう。

(ここではまた更に余談となるが、『阿修羅』は本来、仏教上の存在ではない。仏教信仰が広まるにつれて、仏教に組み入れられた神である。)

『頑駄無明王』の外見的な特徴は、我々の知る仏教における『不動明王』のそれに附合する。

また、彼が出現する時に描かれたとされる、梵字”カーン”、これは、仏教において、正に不動明王を示す字である。

少なくとも映像的観点において、『頑駄無明王』や『不動明王』は、我々の知る『仏教』のそれに附合している。

文化の相似性を、この点のみで証明する事は出来ないが、今後の考え方の方針としては有効となるであろう。

(『戦国伝考証』からは少々外れた話になるが、この『頑駄無明王』というキャラクタはそもそも、コミックボンボン紙上にて行われたアイデアコンテストの応募作品であり、このような状況下に登場するキャラクタである事はもとより想定されておらず、純粋に不動明王をモチーフにしたSDガンダムをデザインしたに過ぎないのであろう。

その点において『頑駄無明王』とは、正に仏教下の頑駄無と言える。)

『闇皇帝襲来以後の、『頑駄無明王』によるものとされる出来事であるが、これらは、上記の”二代目大将軍が『頑駄無明王』となった”という話を基にして更に付加されたものであろう。

神となった頑駄無軍団の亡き君主が、自らの臣を憂いて様々な加護を施す、というのは、人々の間に伝播する話として不自然は無いだろう。

精太が『林』の鎧を得た、というのは、実際にそのような試みが行われた可能性も否定できない。

つまり、着装者が定められているとされる鎧を、他の者が使用する事が可能か否か、という試験的運用である。

それが人々の間に伝わる過程で”『頑駄無明王』のいたずらである”という話を付加されたという事は、『四天王』の伝承が唯一人に対するものという認識が、それだけ強かった、という事になるのだろうか?

『頑駄無明王』が実在しない、と考えた際にも、人々の間に『頑駄無明王』と頑駄無軍団の関与にまつわる話が確かに伝わっていた、と考えるべきである。

それだけ、『頑駄無軍団』は天宮において特別視されていた、という、一種の証拠にもなりうると考えられる。


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