SD戦国伝 時事考察
(其の一・歴史改変前)

最終更新/平成十五年三月三十日

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天宮に伝わる伝説の一節に、「大地は魔物であふれかえり〜(中略)〜世界は闇に包まれようとしていた〜」とあり、この魔物は、恐らくは闇の者達であったのだろう。(超機動大将軍編 BB情報局参照)
『天下統一編』終盤(改変後)において、初代大将軍を追い込んだ黒魔神闇皇帝が、過去の時代にも『光』に敗れてきた『闇』の者達が存在した事を示唆する台詞を語っているが、この事からも黒魔神襲来より遥か以前から闇の襲来があった、という事を推察する事が出来る。

『天空より一筋の光が大地に降り立ち〜(中略)〜光の中から
『龍王天』、『隼王天』、『火炎天』、『光山天』という武人が現れ〜』
(超機動大将軍編 BB情報局参照)
 天宮の伝承よりの一節である。
 後に数々の武勇を残す『四天王』が、初めて名を残した記録であろう。
『天空より』『大地に降り立ち』というのは、伝承の脚色と見るか、
中々意味深く思える言い回しである。
 四天王はこの伝承以来、常に大将軍や天界の力と共にあり、
本来は天界武将であったという考え方も出来るのでは無かろうか。


『それを怒った魔王は自ら姿を現し〜』(超機動大将軍編 BB情報局参照)
とあるが、「自ら」という事は、その『魔王』が『魔物』達の上に立つ存在、
もしくは人々にそう思われる存在であったという事か。


伝承では「光と共に巨大な武人が現れ」た、とある。
『No.153 超機動大将軍』の記述と併せて、これは超機動大将軍であった
と考えて支障無いだろう。
超機動大将軍の稼動には、それを『纏う』者が必須であるが、その者に関しては全く情報がない。あるいは『纏う』者が存在しないまま、自律稼働形態『機動鋼人』として戦っていた可能性がある。
この伝承には、天宮人が八頭身の人型を指し示す時にしばしば用いられる、「手足の長い」という形容が含まれていないのだ。
後の黒魔神の侵攻時には、複雑な手順を踏んで地上の武者に力を与えて事態の鎮圧に当たった天界だが、この時には直接戦力と言うべく機動大将軍を投入しているのは、如何なる事情からであろうか。
もし、この時代に出現した『四天王』も天界武将であったと考えると、天界は一切地上の者の手を借りずに事態を鎮圧したという事になる。

余談であるが、この伝承は、歴史改変後の初代大将軍と黒魔神闇皇帝との戦いの模様にも共通点がある。
比較的近年の出来事が、更に古来の伝承を補強する形で併合されたのかもしれない。

人々が天帝に敬意を表し、天帝を祭った宮を建立した、と伝承にある。
そしてこれが元になり、『天宮』という呼称が生まれた、との事である。
この『宮』が、後の時代に現存していたかは分っていない。


後の『七人の超将軍』編おいて重要な役を担う、『機動武者・大鋼』の祖型である。
 歴史改変後の頑駄無軍団において、発掘された部品と絵図面を元に、火炎の駄舞留精太が復元したとの事であるが、その際、恐らくは図面の添付情報などの欠落で機体名称が誤って認識され、『大鋼』と呼ばれる事となり、機体に取り付けられた銘板にもそう打ち込まれている。

大鋼は、本来は『太陽鋼砲』と呼ばれる大砲であったという。
(BB情報局かわらバージョンvol.2参照)
大砲、といっても、恐らくは初めから我々が知っている『大鋼』の姿に近い人型であったと考えられる。移送・自衛など、大砲としての運用に必要な補助的機能を単体に内包した兵器だったのでは無かろうか?

また、天宮の住民の代表的な姿である、いわゆる2.5頭身体型では無く、8〜9頭身近い、「手足の長い」体型をしているのは、 一説には『機動武神・天鎧王』を模して造られたからだ、と言われているが、定かではない。

いずれにしろ、この時代の技術は巨大な二足型自律稼動兵器を建造しうる水準にあったという事だ。
天宮では『天下統一編』時代以後300年以上(数十年説も有力とされていることを特に付記しておく)、『超機動大将軍編』において爆流が『鉄機武者』を作り上げるまで同等の技術は存在しておらず、この時代と以後が何らかの要因で断絶している事を示唆している。
『天下統一編』時代には、大型移動要塞『飛駆賽虫』が存在していたが、大鋼同様、遺物を利用した物、或いは、黒魔神の魔力や術法による産物、と考えて良いだろう。

この時代は一体、何だったのだろうか?
そして、如何なる要因で以後との断絶が生じたのか?
時間軸上に置いて『天宮』という呼称が生まれる前か後か、については、
現在、暫定的に、後と解釈しているが、この根拠は『No.147 機動武神 天鎧王』に掲載されている、天鎧王が大鋼の手本となった、という仮説のみである。
この仮説の裏付けは現在の所成されておらず、天宮の起源の以前であった、とも、同時期であった、とも考える事は出来る。


かねてより、”天空武人の末裔””天空武人の祭司”である事を名目に権勢を高めてきた貴族たちの政権(別項/戦国伝考証参照)は、この時期においては既に怠惰が蔓延し、貴族の家臣として従事してきた武家たちの中に政治的発言力を持つ者が現れ始めていたのではなかろうか。
天空武人の存在は、伝説化しつつも根強い信仰を保っており、祭事を執り行う貴族の地位の拠り所となっていた。
しかし、天空武人の再来というべく、”天の将”頑駄無大将軍が一介の武士の中より出現した事が、そうした時勢に大きな影響を及ぼす事になりかねない。


暗黒軍団が、何を目的としたどのような組織であったのかは、明らかになっていない。
組織構造や、その構成員についてはある程度詳細な資料が存在するが、その行動に関しては、鳳凰達との戦闘以外には劇中では触れられていない。
月見ヶ原の合戦において、大型移動要塞『飛駆賽虫』を複数(恐らくは二隻)投入するなどの事から、当時の天宮における平均的な軍事力を大きく上回っていたことが予想される。 

この時代より、影舞乱夢(エイブラム)(と呼ばれていたかも不明だが)と天宮は国交があったという。
そして、武神は影舞乱夢において由緒有る家柄であり、高い地位に就いていたと言われ、その地位は「外交官並」との事である。(当方掲示板履歴参照)

だが、武神がこの時期に天宮を訪れたのは、通商や外交では無いように思える。
彼は鳳凰たちの前に姿を現した際、後に鳳凰らにとって極めて重要となる物を所持していた。
『厳戒の弓』『邪滅の矢』である。
そして、「外交官並」の彼が、自ら鳳凰らに手を貸し、暗黒軍団と共に戦う事も、それと無関係ではないのかもしれない。

一般に、武神は後の『武者七人衆』の一人、精太の実父であると言われている。
しかし、近年、それを誤りとする証言が得られており、如何なる事情が両者を結びつける事になったのか、調査が待たれるところである。

・参考>
諸事考察「三国の言語」
   諸事考察「厳戒の弓・邪滅の矢」


百ノ進は、『光ノ巻』を土蔵から発見したという。
(コミックボンボン八月号付録・『天下統一編マル秘武芸帳』参照)
土蔵とは、彼の家の土蔵であろう。すると、『光ノ巻』は彼の家に伝えられていた物という事になる。
百ノ進の家が如何なる経緯からこれを所蔵していたかは解らないが、もしかすると、百ノ進、そして彼の家系は本来は重要な役を負っていたのかもしれない。
この事と、百ノ進が皇家血筋である事の関連もあるいは考えられるかもしれない。

『光ノ巻』は劇中でその書面を変化させており、ただの予言書では無い事が見て取れる


鳳凰が『天の鎧』を得た過程は明らかにされていないが、暗黒軍団の跳梁とおおよそ同時期であろうと思われる。
『天・地・雷』の鎧は、心霊的な理由からか、体質的な問題か、それに適合する人間が装着しなければ力を発揮し得ない。
鳳凰と雷は、偶然や他人の意志で神器を得たわけでは無く、神に選ばれたのだ。
鳳凰は、おそらく『天の鎧』の入手と共に名を『鳳凰』と改めたものと思われる。


雷も鳳凰と同時期に『雷の鎧』を得たものと思われる。
同様にまた、名を『雷』と改めたのだろう。


『光ノ巻』が百ノ進により解読が進められた結果、
『天と地と雷がそろいしとき光の中より神の力がとかれん』との一文が解読される。
この託宣に従って、鳳凰達は地の鎧を纏うべき者を探す事となる。


おおよそ、以下のような戦であったと思われる。
暗黒軍団の月見ヶ原方面への侵攻を察知した殺駆一党は、これを迎撃すべく、月見ヶ原にて急遽、陣を展開。
対する暗黒軍団は、大将格である龍将、飛将率いる巨大移動要塞・飛駆賽虫をも投入し攻撃を仕掛ける。
これに、暗黒軍団の動向を探るため偵察に出ていた鳳凰・雷、そしてその場に居合わせた武神が参戦する事となる。

暗黒軍団側が投入した兵力、そして、鳳凰陣営の出陣が間に合わぬ巧妙かつ迅速な進軍、大将自らの陣頭指揮などから、暗黒軍団側はこの一戦を以って決戦とする意図だったのかも知れない。

しかし、この戦の結末ははっきりとは分っていない。
荒裂駆主介入後におけるこの一戦は劇中でも描写されており、神器の強烈な戦闘力を活かした鳳凰・雷等の活躍で飛駆賽虫一隻に多大な損害を与え、その後武神の放った邪滅の矢に脚部関節を破壊され、戦闘不能にしている。ここで戦闘場面は途切れており、恐らく、残ったもう一隻の飛駆賽虫は退却し、この一戦はそこで幕を閉じたものと思われる。
鳳凰、雷、殺駆などの主要な武将に死傷者は無く、暗黒軍団側は飛駆賽虫一隻を失っている事から、鳳凰・殺駆側の勝利と言えるかもしれないが、軍を率いて参戦した殺駆一党が受けた被害如何によっては、痛み分けとするべきかもしれない。
荒裂駆主介入前においては、神器を使い慣れてはいないとは言え、地の将・荒裂駆主の参戦が戦況に影響を与えないとは思えず、の有無が戦況に影響しないとも思えない。
荒裂駆主介入前の歴史では、暗黒軍団に月見ヶ原を獲られていたのかも知れない。


雷を踏み潰そうとした飛駆賽虫の脚部を邪滅の矢の一撃で破壊し窮地を救った。
恐らく、合戦の騒ぎを聞きつけて急遽駆け付けたものと思われる。
この時、武神がどのように敵味方を判別したかはここでは不明である。


荒裂駆主介入後の歴史改変後の鳳凰の変化の様子は劇中で描かれている。
日食の瞬間に、鳳凰が大将軍に変身しているが、恐らくは改変前においても同様であったろう。
何故、日蝕の時だったのだろうか?特に意味が無いとは考えにくい。
日蝕という現象が、光と闇にとって如何なる意味を持つのか、またこのときの日蝕は純粋な自然現象だったのか、など、この件について謎は多い。

時の政権者たる『朝廷』が大将軍を放置したとは考えにくい。
従来、己達の特権であった『天空武人の代弁者』という立場を脅かす頑駄無大将軍に対し、しかし『本物』の『天の将』を認めないわけにはいかなかったであろう。
策として考え得るのは、鳳凰に『大将軍』の役を認める、という勅許を下す事で形式のみながら朝廷の主導権を保とうとする事であろうか。
中世日本との近似をここでも用いるならば、ここで初めて鳳凰のもとに『幕府』が成立したと考えられる。この時の『幕府』は、後の武家による政治中枢を指し示すものではなく、出征中の将軍が構える陣と、それに付随する臨時的な政治的裁量権の発生であろう。


後の荒裂駆主介入後においては、黒魔神との決戦時に『天』『地』『雷』の三神器のより現れる剣、『天神剣』(大将軍変化後は『天光剣』と呼称)『雷神剣』『地神剣』が輝きを発し、三つの神器の力により黒魔神の撃破に成功した。
しかし、『地の鎧』纏う者が無ければ、この力は発動しなかったものと思われる。
結果的に、この対決で大将軍・鳳凰は敗北し、黒魔神に殺害される。

これこそ、荒裂駆主による歴史改変のカギである。


黒魔神戦以後の雷の行動には諸説有り、縁故ある百ノ進を皇位に推して権勢を得ていたというものから、暗黒軍団に敗れた後、暗黒軍団の追撃を逃れる為、農民に身をやつしていたというものまで様々である。ここでは、”雷・落武者説”に基づいて記述している。
雷が逃げる必要があった、とするならば、この時の鳳凰陣営にはもはや暗黒軍団の追撃を切り抜けるだけの戦力が残されていなかった事になるだろう。

恐らくこの時、亡き兄の嫡子・雷凰を連れ出したものと思われる。

”敗走説”は、正史にしばしば見られる、武者・農丸が『農民上がり』であるという記述から裏付けることができる。


頑駄無大将軍の死去、雷の敗走、大将格であり、闇の力に対抗し得る要である力を失った事により鳳凰の軍は壊滅的な打撃を被った事と思われる。
後には百ノ進が残っている為、彼が中心となり体勢を立て直した、と考える事もでき、また、同盟関係に有った殺駆一党の協力が有れば、雷失踪後も討伐活動を続ける事は可能ではあったであろう。
しかし通常の戦闘ならばまだしも、黒魔神を相手にするには当時の天宮の兵力ではあまりに力不足であり、鳳凰・雷を欠いた事は致命的とも言える打撃となった事であろう。

恐らくこの後、暗黒軍団の侵攻は一地方に留まらず、広く拡大し被害を深めていったことと思われる。伝承の中で『この世を暗闇に閉ざし』とまで言われた恐怖の時代であったのだろう。
鳳凰の黒魔神討伐が失敗に終わった事を知った当時の政権(朝廷?)が、他の諸国より新たな討伐隊を派遣した事も考えられるが、いずれも黒魔神を食いとめるには至らなかったと思われる。
軍事費の拡大と、戦闘行為への恩賞の滞りから来る武家の不満が募り、黒魔神が封滅された後にも大きなしこりを残す事となったのだろう。


「遠い昔、この世を暗闇に閉ざし、恐怖をまきちらした怪物がいた。人々は成すすべも無くただふるえるばかりであったが天空より降り立った4人の勇者がその怪物を倒し封印した・・・・・・。」
(BB戦士 風林火山編 『四天王』キット同梱の『四天王の書』参照)
という、風林火山四天王伝説として伝承されている。

『四人の勇者』とは、『四獣王』である、と考えて支障無いであろう。
初代大将軍が敗れた後、黒摩神を封じたのは四獣王であったのだ。
当時の政権が、その後『四獣王』に恩賞を与えた事に関する記述が残っていない事から、彼らの働きにより黒魔神が封じられた事はあくまで伝承に留められる程度の認知しか得ていなかった事が考えられる。

雷が幼少時、既に伝説とまで言われていた事は、相応に以前の時代から彼等は存在していた事の裏付けともなり、またこの伝承自体は、天宮史黎明期の『魔物』侵攻の記録と黒魔神侵攻の記録とが合わさっている事が考えられる。


当時の武家政権が、天の将・頑駄無大将軍を後ろ盾にしたものであったとする説を採るならば、大将軍・鳳凰の急逝は武家にとって重大な問題となった事であろう。
暗黒軍団の侵攻に伴う様々な事後問題もその揺らぎに拍車を掛けたのか、潰え掛けていた貴族の権勢が、時の大君・字音大君の元、一時的に息を吹き返す。


時の朝廷では、この時何らかの事情から、皇位相続に関する問題が起きていたことと思われ、様々な思惑の果てに、皇家の血を引きながら何らかの事情で武家として生きていた百ノ進が皇位に就く事となる。
恐らく武士と貴族の双方の意を汲むことのできる統治者として、両勢力に期待されていたであろう百ノ進だが、もはやこの両者に互いを受け入れる許容は無かったであろう。


殺駆の出身については諸説あるが、ここでは朝廷に仕える武士以外の、新興勢力であると解釈している。
朝廷に仕えていなかった殺駆が時隠国を得た際の名目としては、暗黒軍団の討伐において尽力、という名目が有力だが、恐らくは、字音大君の闇の再来防止策の一環と考えられる。
時隠国は、黒魔神が封じられた地であったと推測され、その監視の為、特に大君の信頼の厚い殺駆が抜擢されたのかもしれない。


恐らく、『殺駆一族』という名称もこの時期に生まれたものと思われる。
殺駆は、氏族をまとめ上げた最初の武将だった?


姿を消していた雷が、表舞台に復帰したのは恐らくこの時期であろう。

将頑駄無とは、本来、朝廷における軍事的役職であったと推測される。
朝廷に仕える武家を統括・指揮する役職、といったところであろうか。

暗黒軍団討伐の任を放棄して逃亡した雷がこのような重職に登用された背景としては、前項同様に考えるならば、字音大君の政策であろう。
雷の元には、闇に対抗する切り札となる光の力を受け継ぐ雷凰が居るとは言え、さすがに他の武家達の反感を買った事は用意に想像できる。

また、この将頑駄無率いる朝廷の軍が『頑駄無軍団』という呼称の起こりでは無いか、と思われる。


皇位継承に関する謀略か、反感を買っていた武家の仕業か、または闇の者の策略か、何者の手によるものかははっきりとしない。
字音大君とは、それほどまでに敵対者の多い大君であったのだ。
いずれにせよ、形骸化しつつも影響力を失っていなかったであろう貴族政治が完全に瓦解した瞬間、とでもいうべき事件であろう。


大君の暗殺が如何なる理由からであったかは解らないが、それを行ったものにとって大君の実子が邪魔になる、という事は様々な場合を仮定しても充分に考えられる。
大君の遺言か、または大君を支持していた何者かの手引きによって、大君の実子である双子、後の百士貴、百鬼丸は逃亡する。

兄・百士貴は、雷の元に引き取られ、武家として元服を迎える事となるが、一時期、父・字音大君殺害の怨恨を捨てられず、『飛夜紅死鬼』を名乗り、後見人である雷の元を離れて行動していた、というような事が資料・証言より明らかとなっている。大君暗殺の真相を暴きたてようとしていたのだろうか。
弟・百鬼丸は、時隠に近い地方(SFC『大将軍列伝』より)の隠れ里に存在する忍者養成所にて修行し印可を得、頑駄無軍団、雷の元に士官する事となる。

余談だが、この両名は同じ頑駄無軍団に籍を置くこととなりながらも当初は互いが兄弟である事に気付かなかった、とする説もある。
軍団内で理念の衝突から反目し合い、遂に果し合いをするに至り、その最中、互いが生き別れの兄弟である事に気付き、和睦した、との事である。


初代大将軍の出現が、当時の武家の心を大きく惹き付けたと考えるなら、二代目大将軍・雷凰の将軍着任はそれに比べ、絶対的とまでの求心力を持つには至っていないように思われる。
字音大君死去の後も皇位が空く事は恐らく無かったと思われるが、当時の天宮の混乱を鎮めるに足る人物は現れなかったのだろう。
暗黒軍団、またその残党に荒らされた天宮では、各地方領主による自衛・自治の気風が強まり、中央政権として息を吹き返しかけていた朝廷は早くもその機能を失っていたと考えられる。
恐らく当時、朝廷寄り、しかも無き字音大君の庇護の元にあった雷は、来たるべく闇の再来に備え、天宮を再び統合する為の新たな権力の源として、大将軍の正当な後継者の存在を主張したのでは無かろうか?
実際、大将軍の、すなわち事実上、雷の元に集った武将も数多くいた事であろう。
しかし、先の大乱において、大将軍の、天の力に絶対的な信頼を置かなくなった者も、また同様に多かったであろう。


前述の説から仮定を続けると、先の大乱の結果、この時代の天宮は、事実上消滅同然となった『朝廷』が雷凰に二代目大将軍となる勅許を下す事で(もはや形だけに過ぎなかったであろうが)雷凰を擁する雷と、それに恭順の意を示した武将による『幕府』に政権が引継がれる事となったのだろう。
しかし、この幕府は全ての武家達の信認による物ではなかったであろう事は前項で述べた通りであり、開幕当初から不安定さを抱え込んでいたと言える。
そして、程無くして武家同志の争いが頻発し、それが武力衝突にまで拡大し、世は戦国への道を歩む事となったのだろう。
具体的な発端は明らかになっていないが、各種の資料・文献に、その発端が『闇軍団』である、とする記述が多く見られる。
『闇軍団』とは、時隠、悪沈などの西方諸国を中心とした連合軍であったと考えられ、その首謀者は『闇将軍』なる人物であったという。
殺駆頭は、字音大君政権時代に雷とともに取り立てられ、時隠国守護大名としてその地に封印されている黒魔神を監視する任に就いていたと思われるが、彼は雷の幕府に従わず、『闇軍団』に荷担し幕府と対立する。
雷にとって、共に黒魔神を目の当たりとし、その脅威に立ち向かう事を誓い合った同志であり親友であったとも言われる殺駆がこのような形で自分の前に立ちはだかった事は大変な衝撃であった事と思われる。

一説には、殺駆頭は多くの武家の間で高い人望を得ていた、とも言われている。
野武士的な身分から、軍功をもってして一国の主にまで至った殺駆頭が、力がものをいう、という気風の高まりつつある天宮において一目置かれる事になるのも頷ける。

その殺駆頭が先頭に立ったならば、完全な信認を得ていなかった幕府にとって充分な脅威となったことであろう。
結果的にこの幕府は一代を待たずして政権としては終息する事となる。


日本の戦国期の例に従うなら、合戦の為の人員は武家ばかりでは無く、領内の農民たちも多く駆り出されたはずである。
そして、功績を上げれば、身分・家柄に囚われず出世できる時代であった。
先の『雷・敗走説』から、農民として暮らしていたと推測される武者・農丸の兄弟は、この時代に足軽など下級の兵として合戦に出兵し、功績を上げ、武将として採り立てられたと考えられる。


雷は、配下の諸国から選りすぐりの八人を選抜、『八人衆』を編成する。
これは、一種の遊撃隊であったと考えられ、各地の戦に投入されたと思われる。
構成員は皆、通常の武将達よりも強固な関係を結ぶ為か、雷と父子の契りを結んでおり、その実年齢を別としてその契りを結んだ順を以ってして『八人衆』中の長幼の序とされた、とも言われている。
順序は一般に、武者・農丸・魔亜屈・精太・真悪参・駄舞留精太・仁宇・斎胡、の順であると言われている。
武者・農丸は雷の実子だが、他の武将達と同様、『八人衆』の契りを結んだ義子であると記述している資料が見られるが、前述の通り、武者・農丸は農民から功績を積んで武将となった関係上、彼らが実の親子であると一般に知られる事の方が『八人衆』結成より後となったのではなかろうか。
雷が如何なる思惑をもってして二人の息子を残して政権に復帰したのかは知る術は無いが、何とも数奇な再会であった事であろう。


当時、八人衆の一員であった真悪参が、雷が秘蔵していた『白金の盾』を盗み出し、姿をくらました。
この時、将頑駄無雷は真悪参を追わず、そのまま破門とする。

真悪参はかなりの実力者であったらしく、『武者』の称号も八人衆中二番目に得ている(農丸が二番目、との解釈も有り)ほどであり、その為、己を過信して軍団を抜けたとも言われているが、それほどの実力者が如何に貴重な品であったとはいえ、盾一つの為に軍団中指折りの地位を捨てて姿を消した、というのは何とも奇妙な話ではある。

雷は真悪参を一族から破門し父子の縁を断ち、『八人衆』はこの時より『七人衆』と改められる。
しかし、一説には『八人衆』は来たるべく黒魔神の再来に備え、大将軍の力を最大限に発揮させる為の『八紘の陣』の発動の為に必須の人員であったとも言われ、それを欠く事は計り知れない損失となる事であろうが、雷はそれをも承知で真悪参を逃がしたのであろうか。

真悪参は逃走中、闇軍団側の武将から接触を受けたといわれているが、これには応じなかったとされている。

ここでは余談となるが、『白金の盾』雷の一族に伝えられる物である、との事であり、それを所持する事は真の武者の証となる、という由緒有る武具らしい。
本来ならば、選ばれた者に継承されるという事だろうか。
衝動的にそれを手にした真悪参は、その後、落雷に打たれ忽然と姿を消したと伝えられている。
この後の真悪参の活躍は、また別の物語である。


真悪参脱名前の『八人衆』時代はごく短い期間であったと思われ、真悪参の存在自体、記されている資料は少ないものに限られている。
真悪参脱名後の『七人衆』は各地を転戦、無敵の名を欲しいままにし、『七人の頑駄無』と呼ばれその名を天下に轟かせた。
その名声は極みに達し、彼らを前に歯向かう者すらいなくなった、と伝えられている。


戦国時代の一時期、恐らく中期から末期にかけてと思われるが、頑駄無軍団の主戦力であり象徴といっても良い『七人衆』が修行の為に一時雷の元を離れて解散(旅に出た、と記述する資料も存在する。)した、との旨の記述が見られる。
『武者頑駄無』以外の六人が『武者』の称号を得たのはこの修行によってである、とも言われており、六人はこれ以後装備を一新、新たな戦術や『守護獣』(支援メカとの記述も有り)を得て、さらに高い戦闘力を得たものと思われる。

戦闘はこの時期、多くの大名が乱れ戦う状態を脱し、初期よりは沈静化していたのでは無かろうか。
頑駄無軍団の主力であり、象徴でもある『七人衆』がそろって戦場を離れる、というのは、戦闘の激しい最中には中々考えづらい事である。

また、こう考えることも出来る。
従来、戦況の思わしく無い戦場に投入され、鎮圧に当っていた『火消し役』的な用兵をされていた七人衆が、その名声を利用し、それぞれ単独で各地の戦闘の支援に当っていたのではないだろうか。
当時、高名であった『七人衆』、その内一人でも陣に現れれば、頑駄無軍団側の戦意は大きく高揚する事となったであろうし、また敵に対し、その戦に『七人衆』が揃って現れた、と錯覚させ、戦意を削ぐ効果も期待できる。

特に、この全員が『武者』の称号を得た後の『七人衆』を区別して『武者七人衆』と呼称を使い分ける場合もある。


闇軍団の首魁とされながらも謎の存在とされていた闇将軍が、ついに自ら行動を開始するとの報に、大将軍は散り散りになっていた『武者七人衆』に集結命令を下す。

闇将軍の行動開始と言われる事から、これまでは直接合戦の場において指揮を執ってはいなかった、ということであろう。
これまでにも、闇軍団傘下の諸国による頑駄無城への侵攻は行われていたと思われるが、時隠を中心とした戦国の列強を束ね上げる闇将軍直々の出陣とあれば、軍の統率においても、兵の士気においても多大な影響をもたらすものとなるであろう。
当時最強を謳われた武者七人衆ならば、それに対抗するのに確かに相応しいと言える。
両者の正面対決は、事実上、闇軍団勢と頑駄無軍団勢の決着とも成り得るであろう。

この集結命令は、前述の通り大将軍から直々に発布されたとされている。
未だ事実上の命令系統の最上位は雷であったと思われるが、雷は次の一戦が決戦となる予測、あるいは予感を感じたのかもしれない。
この時点で、雷は既に『闇将軍』なる武将が、その名に冠した通り闇の力を振るう存在である事を察知していたと思われ、百鬼丸などの密偵を投入し、闇将軍が拠点としていたと言われる逗虫邸にまで直接潜入し、闇将軍の座所へ今一歩まで迫るなど、その正体にかなり肉薄していたと思われる。
闇将軍の出現、それは『闇の再来』の始まりであり、それは、長年人目に晒さずに育て上げてきた頑駄無大将軍がついに表舞台に立つ時である、と判断したのかもしれない。

集結命令には、ほぼ全員が直ちに応じたが、農丸、斎湖の二名のみは、当初その消息が知れず、一時期、集結した五名のみで行動しており、これを『武者五人衆』と区別して呼称する場合もある。

斎湖は、闇軍団側の将、璽悪の策に落ち、『洗脳マスク』と呼ばれる特殊な装具を用いて璽悪率いる『巨忍軍団』の一員として『武者五人衆』と対峙する事となり、その一戦の最中、武者頑駄無の機転によって洗脳が解かれ、頑駄無軍団に復帰する事となる。

農丸は、史実が示すとおり、実際は『七人衆』解散後、将頑駄無雷の元へ極秘裏に戻り、彼の密偵、『隠密頑駄無』として闇軍団を背後で動かしていると予想される、『闇』の存在を探っていた。
彼が『武者七人衆』として復帰したのは、この戦の最終局面になった、正に土壇場の時であった。


闇将軍は、殺駆頭率いる軍団を投入し頑駄無軍団の本城である『頑駄無城』へ攻め上がった。
この一戦は、後の史実が伝えるとおり事実上の決戦となる戦であるが、合戦の模様や双方の規模を伝える資料はかなり限られたものしか存在していない。
伝えられる合戦の場面は、既に闇軍団側が城の手前まで迫ってからのものがほとんどであり、頑駄無軍団側はそれまでの戦において徐々に後退を強いられ、城まであと一歩まで迫られた状況であった、という推察もできる。
あるいは、殺駆頭は何らかの策をもってして、直接頑駄無城の間近まで兵を寄せたのであろうか。

殺駆頭を語る言葉に、「戦いの中にあっても常に正々堂々」していたとするものがあるが、恐らくそれは、敵将への寝返り工作や、中立の立場をとる大名を用いた政治的工作など、直接の武力衝突以外の手を好まない、という様な事であったのでは無かろうか。
合戦において、何が卑怯で何が堂々としているか、などという線引きは困難であろう。
もし、彼が本当に正面対決のみを好んで用いる武将であったなら、とても列強の集う闇軍団の中にあって、その事実上の頂点に君臨し続ける事は出来なかった筈である。

殺駆頭は、『闇軍団』の中にあって最強と呼ばれる武者であったという。
殺駆頭はこの当時、五十代後半から六十代の老将と言っても良い年齢であるが、その戦闘力は武者頑駄無を始め、『七人衆』の数人掛りで有利に渡り合う程の、凄まじいものであった。


殺駆頭と七人衆の交戦中、上空から鎧が飛来、その鎧は殺駆頭の全身に取り憑く様に装着された。
鎧を纏った殺駆頭は突如豹変し、『我こそは闇将軍』と名乗りを上げる。
これが、恐らく闇軍団の者ですら見た者はほとんど無かったであろう、闇将軍の正体が公に露見した瞬間であった。

しかし、殺駆頭が『闇将軍』と名を騙って裏から闇軍団を操っていたか、というと、そうでは無い。
この『闇の鎧』に取り憑かれた殺駆頭は、己の自意識を失った状態となるらしく、殺駆頭自身も己が闇将軍であった事を知らずにいたといわれている。
闇軍団においても、闇将軍に謁見を許されているのは恐らく限られた者のみであると思われ、その謁見も、常に御簾越しのものに限られていたようである。
劇中では殺駆一族の重鎮である『殺駆三兄弟』が対面している場面が描かれている。
そして恐らくは、殺駆頭のみが闇将軍との直接の謁見を許されていたのでは無かろうか。
殺駆頭は、実働的には闇軍団の頂点に位置する武将であり、闇将軍と直接謁見できる特権を持つ唯一の人間として不自然さは無い。

殺駆頭には、自意識が無かったと前述したが、二重の記憶を持っていた、とする方が適切かもしれない。
その正体を御簾の向こうに隠すような不自然な行為を行ってまで、猛将・殺駆頭を『闇将軍』に仕立てたのは、殺駆頭自身の能力を利用する為であったと考えるべきである。
前述の頑駄無城攻めに至るまでの闇軍団の進撃は、やはり殺駆頭の戦国武将としての才覚に導かれたものであろう。
結果的に、やはり闇将軍は殺駆頭であった、と言っても良いのかもしれない。

闇将軍と化した殺駆頭は、闇の力を振るい、局所的なブラックホールとでも呼ぶべきものを創り出し頑駄無軍団を窮地に陥れるが、雷が放った弩(頑ボーガン)の一撃で穴は消え失せる。
この時雷は『雷帝の神器』を用いてはいなかったが、何らかの手段で光の力を用いたと思われる。
その後、雷と闇将軍の一騎討ちとなり、この戦いは雷の猛攻の前に闇将軍がなす術無く圧倒される形となり、雷の勝利となる。
雷は殺駆頭と同年輩と考えられ、やはり既に老将であるが、その実力は未だ大将軍に次ぎ軍団の頂点に立つものであると言われていた。
しかし、このあまりの圧勝は『闇の鎧』の力を得た殺駆頭に対して少々不自然にも感じられる。
あるいは、殺駆頭は片隅に残された自意識を振り絞り、『闇の鎧』の支配に抵抗したのかもしれない。
様々な形で語られるように、本来この二人は親友同士であったのだ。


殺駆頭の頑駄無城めの最中、何時の間にか頑駄無城には黒雲が垂れ込めていた。
そして、その黒雲こそが闇皇帝の化身であり、闇将軍が討たれると共に、その姿を始めて現した。
雷が危惧した通り、この一戦は正しく『闇の再来』となったのだ。

闇軍団側においても、闇皇帝の存在やその正体についてはほとんど知られていなかったと思われ、また同様に頑駄無軍団側の将兵達も『闇』について具体的な情報を与えられていた者はそう多くは無かったと思われる。
恐らく、闇皇帝出現と共にもはや戦の体を為さなくなり、両軍共に大混乱に陥った事だろう。

『闇皇帝』の姿は、以前に『黒魔神』として天宮を蹂躙したときと比べて両腕、そして背部の装備などが大きく異なっている
これは、先の『四獣王』との戦闘経験から、能力の強化を図った、もしくは『黒魔神』、『闇皇帝』、双方の姿はどちらもが闇皇帝が本来持っている形態で、用途に応じて使い分けている、と考えられる。

なお、『黒魔神』と『闇皇帝』が同一人物(個体)である事は、当初闇に関する知識を持つ者にもはっきりと分からなかったらしく、二代目大将軍は闇皇帝自身の口から己が鳳凰を殺害した張本人であると聞かされ驚いている。
黒魔神が鳳凰を殺害した事自体は天宮中に知れ渡っていると思われる為、二代目大将軍が驚いたのは、眼前の『闇皇帝』こそが父の仇『黒魔神』だった事であろう。

一つ、気に留めておきたいのは、何故『黒魔神』は『闇皇帝』と名を変えたのか、という事である。
もしかすると黒魔神は、自ら『皇帝』を名乗り、天宮に君臨する目論見であったのかもしれない。もし、二代目大将軍もが敗れていたなら、中世日本の南北朝時代の如く、天宮本来の大君と闇皇帝、双方が己の正当性を訴え、政治・武力で衝突するような歴史にもなり得たのだろうか。
ただ、また気になるのは、天宮においては『皇帝』という呼称は用いられない事である。
この呼び名は、闇皇帝が本来いた世界に関わりがあるのかもしれない。
闇皇帝は、”異世界から現れた””宇宙からやってきた”など、天宮はもちろん、その惑星の出身ですらないとする説が存在しているのだ。


No.44 頑駄無大将軍」の解説によると、
「頑駄無大将軍は来たるべく巨大な闇(闇皇帝)を打ち砕くために将ガンダムが育てた大将軍二代目である。」
とある。
雷は、正にこの時の為に亡き兄の一子を闇を討つ頑駄無大将軍として育て上げてきたのだ。
大将軍は、闇将軍や闇皇帝ほどには不透明な存在ではなかったと思われ、頑駄無軍団の総大将として武将達からある程度の認知はあったと考えられる。
一説には、大将軍はこの一戦が初陣であったとも言われており、雷は、あくまで隠し玉、切り札として大将軍の力を使おうとしたのかもしれない。

その力は強大であり、闇皇帝が放った雷撃により破壊された頑駄無城天守閣より、全身から閃光を放ち瓦礫を跳ね飛ばしながら無傷で現れ出た。
反撃に放った『フェニックスアタック』は一瞬、闇皇帝を爆散させたと思わせるほどの激しい威力を持ち、人域を超えた能力を内包している事をうかがわせている。


大将軍の奇襲的な反撃を”防御形態”に変幻し凌いだ闇皇帝は、さらに”怪物形態”へと変幻、その姿は見る間に巨大化し大将軍を圧倒した。

あまりの体躯の差に為す術無い大将軍だが、そこにかねてより闇皇帝について調査していた隠密頑駄無(農丸頑駄無)が帰還、彼のもたらした情報により、その巨大化は幻術である事、術を破る為には大将軍の軍配と七人衆の力を用いる事が判明、
軍配に五人衆の兜の鍬型を取り付けると、軍配は七人衆の力を受け光輝に包まれ、それに呼応して大将軍の『光の力』が増幅、大将軍は闇皇帝と同様に巨大化し闇皇帝を羽交い締めにすると厚く閉ざした雲の上にまで上昇し、全火器の至近距離一斉射により闇皇帝を撃破。しかし、その余波を被った為か、闇皇帝の反撃があったのか、大将軍も共に爆散、討死する。

この七人衆と大将軍の連携に付いては諸説あり、大将軍を中心に七人衆が円陣を形作ったとする説もある。
ここで留意したいのが、後の歴史において『光の力』と共に幾度も表れる、『八紘の陣』の存在である。
初代大将軍は、その力の増幅器として背後に巨大な円輪『八紘の光輪』を背負っていたが、後の三代目大将軍は、光の力を持つ八人の武者により円陣を形成させ、そこに巨大な光の力場とでも言うべきものを形成している。
二代目大将軍が、力の増幅の為に『八紘の光輪』の力を用いていたとしても、何ら不自然は無い。雷が『八人衆』結成を目論んだのは、正にこの時の為なのではなかろうか。

しかし、実際は『八人衆』は『七人衆』となっており、『八紘の陣』を形作る人員を欠いてしまっていたのだ。
軍配に直接取りつけた鍬型が更に少ない五人衆の物のみであったのも、本来の姿から逸脱した『八紘の陣』の力の均衡を保つ為の苦肉の策だったのかもしれない。
結果的に、大将軍の強化は辛うじて闇皇帝の呪術への対抗力を得たのみとなり、大将軍はその不足分に文字通り己の命を充てる事となったのだ。

だが、初代大将軍は頑駄無結晶の力が不完全であったが故に敗北したのに対し、二代目が相討ちにまで持ち込めた、という事は、この七人衆の助力は充分な効果があったという事であろうか。
あるいは、闇皇帝の側も先の四獣王との戦いでその力を大きく失っていたのかもしれない。
そう考えてみると、間接的にとはいえ、己自身の存在をさらして軍を率いていた暗黒軍団時代に比べ、闇将軍、更に殺駆頭と、二重の隠れ蓑の影で戦国大名たちを扇動していた闇軍団時代の闇皇帝のやり方は消極的であった、というようにも見えてくる。
もし、『八紘の陣』が本来の姿で発動していたなら、結果は大きく違ったものになったのかもしれない。
『光』は、この失点を補う為、この時より大きな『策』を講じ始める。

余談だが、二代目大将軍の鎧の胸に彫られた紋は、丸の中に大きな一つの玉を囲むように七つの玉が並んだ紋様となっている。
これは、大将軍の紋章であるといわれ、中央の玉は将頑駄無、周囲の玉は七人衆を示し、この紋章を通して将頑駄無や七人衆と意志を通わせる事が出来るといわれているが、この紋の七つの玉がもし八つだったなら、それは『八紘の光輪』そのままの図形となり、中央の大きな玉・大将軍を八つの玉・八人衆が囲む図形となっただろう。


大将軍と闇皇帝が大爆発と共に消えた後、そこから五つの輝くかけらと、五つの暗黒のかけらが飛び散った。ほとんどの者が呆然と、或いは混乱の極みにある中、少数の者はそのかけらに重要性を見出して、急遽追跡を行っている。
判明している限りでは、頑駄無軍団の農丸頑駄無、そして闇軍団からは璽悪の二名が輝くかけらの一つを追跡している。

かけらを追った農丸は一人の赤子を発見。その胸には強い光を放つ玉が抱かれており、その玉が輝くかけらであると考えられている。
同じくかけらを追跡していた璽悪は赤子を確認すると、その殺害を目論むが、農丸がそれを阻止している。
この赤子が、後の荒裂駆主である。
他の輝くかけらも光の玉に変わったと見られ、後の『新生武者五人衆』となる、風雷主、江須、百士鬼改、砕虎摩亜屈の元へ渡っている。
また、暗黒のかけらは、闇軍団の武将達、漣飛威、璽悪、剣舞風荒、当時闇軍団に属していた砕虎魔亜屈、そして殺駆頭の一子、若殺駆頭の手に渡る事となる。

これらのかけらが、それぞれの個人の元へ至った経緯は不明である。
砕虎摩亜屈(砕虎魔亜屈)は、かけらが四散したと同時に二つのかけらを直接受けているが、対して百士鬼改や若殺駆頭はこの時には誕生してすらいない。
また、暗黒のかけらのほとんどが既存の有力武将の手に渡ったのに対して、輝くかけらは、当時狩人の息子であった風雷主、宮司の子息であった江須などにも渡っており、これは、光と闇の双方のかけらが、その宿主に求めた資質の違いであると思われる。

暗黒のかけらは闇皇帝の肉体の断片であるといわれており、それ自体がかつての闇将軍の『闇の鎧』と同様の物であると思われ、宿主に強大な闇の力を与え、武器として用いられるものも有るが、時として宿主の精神を侵食しその意志を奪い、そして後の光と闇の決戦においては、かけらは宿主を放棄している。

これに対し光の玉は、頑駄無結晶の破片であるといわれており、やはり宿主に強力な力を与え、またそれ自体が武具に変化すろ物もあり、その点では暗黒のかけらに近いが、宿主の自由意志には一切干渉は無く、決戦時においては一度機能を失った頑駄無結晶の再起動の為の力を注いだのみであると思われ、その後にも『新生五人衆』は光の玉より生じた武具を着装した状態を保っている。
そしてなにより、この光の玉を持った『新生武者五人衆』は、『風林火山四天王』と共に『八紘の陣』を形成する要員となっているのだ。

つまり、暗黒のかけらは単にそれ自身を守るだけの力を持った武将を選び寄生していただけであるのに対し、光の玉は後の『八紘の陣』形成に必須な、もしくは何らかの別の理由で厳しい人選を行った、と考えられるのだ。

ただ、これには例外がある。
砕虎魔亜屈を選んだ暗黒のかけらは、先に宿っていた光の玉を封じる為に彼に取りついたといわれているのだ。

そして、これは仮説の域を出ないが、最初に述べた荒裂駆主に関して、彼は輝くかけらそのものではないか、とも考えられるのだ。
荒裂駆主はこの後、正に『運命の子』と呼ぶに相応しい重要な約を担う事となり、最終的には大将軍となるに至っている。
一説には、彼は『光』の側が、度重なる闇に対する失点を挽回するべく生み出した、『改竄者』なのではないか、ともいわれているのだ。
彼は後に、正しく歴史を大きく動かす鍵となる。


大将軍と闇皇帝が天空に散った後、戦は中断され、頑駄無軍団と闇軍団の間に和議が取り交わされる。

この和議には、恐らく雷と殺駆頭の両者が、それぞれの軍団を束ねるものとしての立場以上に大きな役を果たしたと思われる。

天宮が戦国に至るまでの一連の流れは、確かに闇皇帝の企てによるものであった。
しかし、殺駆頭が天下の覇者となる事を望み、多くの大名を傘下に置いてきたのもまた事実である。
ここに至って、いくら闇皇帝が討たれたからと言って、簡単に停戦が成立するとは、通常では考え難い。
やはり、雷と殺駆頭、この両者の間の感情が関わっているのかもしれない。

とはいえ、この和議は恐らく『停戦協定』であると思われる。
殺駆頭と雷が戦を止める、と言っても、他のすべての大名がそれに従うとは限らないのだ。天宮は依然として二つの勢力に分かれたままであり、未だ火種を抱え続けていると言えるのだ。


決着こそ付かなかったものの、頑駄無軍団と闇軍団は間違い無くこの時代の天宮で最大の勢力であっただろう。
その二者の戦闘休止により、天宮からは戦火が消える事となる。
恐らく、両勢力がそれぞれ暫定的な政権を立て、傘下の諸大名をまとめ上げていたのだろう。

だが、これは真の平和とは言い難いものであろう。
頑駄無軍団に限って言えば、この停戦中にも積極的な軍備拡充を行っており、軍事的なきな臭さは拭い去れていない。
恐らく、細かな衝突は随所で起きていたと思われ、十五年間も大きな戦を回避出来たのは、雷と後継の武者・農丸、そして殺駆頭の多大な政治的尽力によるものと思われる。


農丸は、光の玉を抱いた赤子を己の子として育てる事とし、名を『柳生 農兵衛』と偽り、浪人に姿を変えて『荒五郎』と名付けた赤子と共に城下の長屋に隠れ住む。

何故、農丸は荒五郎を城下で育てようとしたのだろうか?
荒五郎は、光の玉『アス』を授かった運命の子であり、爾悪に命を狙われた事もある。恐らく、その後も命を狙われ続ける立場にあったのだろう。
恐らく農丸配下の忍が四六時中、監視していたに違いないが、単純に安全面を考慮すれば、農丸の子として屋敷や城に入れてしまった方が遥かに安全と思える。

理由として考えられるのは、農丸が荒五郎の存在を頑駄無軍団にすら極秘としようとした。という事である。
城内や、配下の大名の屋敷に預けた場合、それは他の人間の目に付く事を免れない。
側役など、周囲の者から外部にその存在が漏れないとも限らない、と警戒しての事なのかもしれない。

荒五郎の事を知っていたのは、頑駄無軍団でもごく限られた者のみであった事だろう。
駄舞留精太は、その一人であったと思われる。
彼は、幼い荒五郎の為に、多彩な機能を備えた乳母車を製作し農丸に譲り渡している。
この『チョバム乳母車』は、乳母車とは銘打たれているものの、外部を装甲材で覆い、自走機能、果ては飛行機能までも有するという、過剰な代物であったという。
それほど、荒五郎を厳重に守る必要があったという事であろう。


大戦の後、『武者七人衆』は主君を守れなかった己達の責を感じ、再度の修行を行ったと言われている。
精太、仁宇、魔亜屈、斎胡などはそのための旅に赴いている。
武者は、恐らく老齢となった雷の補佐として軍団の拡充や政治に関わっていたと思われ、また駄舞留精太は、大戦で破壊された頑駄無城に代わる新たな城の建造を取りしきっていたと思われる。
農丸は、表向きは他の者達と同様に旅に出た事になっていたのだろう。
前述通り、彼はこの時期、浪人に姿を変えて城下に潜伏していたのだ。

仁宇、魔亜屈、斎湖は旅先で数奇な事件に巻き込まれ、その結果、伝説の『四天王』を継承する事となる。
近年、すなわちこの時代から三十〜四十年前の黒魔神討伐において、その存在が単なる伝説以上のものである事を人々に知らしめたが、その信仰自体は、天宮黎明の伝承にも語られる通りかなり古いものである。
後の『新生武者五人衆』の一人である江須の生家の神社には、御神体として『四天王の鎧』が祭られていたとされている。
そしてある日、その鎧が忽然と消えうせたという。
鎧自らの意志か、それとも人ならぬ何者かの手引きかによって、鎧は新たなる主の元に導かれる事になったのだ。

後の『超機動大将軍』編にて語られる通り、天宮の北部、俄雲乱土と呼ばれる地方に、巨大な神顔像が祭られている。
この像は、本来『四天王』を祭るものであったといわれており、江須の神社との関連性が予想される。


後述する『天地城』の動力とする為、駄舞留精太は『消えない火種』を求めて旅立つ。
この『消えない火種』が、何を示す言葉なのかは不明であるが、かなりの大熱量を得られるものである事は、天地城の規模と能力からも明らかであり、そして、「消えない火」という言葉から、何か連鎖反応的に熱量を放出し続ける、原子力のような動力源である事を連想させられる。

技術者である駄舞留精太がそれを使用する事を前提として城を設計させたという事は、ただの伝説的なものでは無く、かなり信憑性のある存在だった、という事であろう。

旅の末、駄舞留精太は『火炎山』と呼ばれる山の洞窟で、山の精霊から与えられた試練を乗り越えその『火種』を得る。
それは、同時に彼が『火炎天』を継承する事でもあったのだ。

前述の魔亜屈、仁宇、斎胡も、それぞれ神掛かった試練的な体験を経て、『四天王』を継承するに至っている。


殺駆頭の頑駄無城攻めによって大規模な損傷を受け、続く闇皇帝との戦いによって本丸天守を破壊された頑駄無城に代わり、頑駄無軍団の新たな本城が築かれる事となる。

それは、従来の規模を大きく上回り、また何よりただの城ではなく、移動要塞としての機能を有していた。
一説には、旧頑駄無城にも自走機能が備わっていたと言われているが、正史ではそれが使用された形跡はない。
完成した『天地城』は
天守を中心とした本丸構造物を周囲から分離させ自走させる事が可能であり、超大型の火砲と兵員輸送能力、そして最前線における指令拠点の役を併せ持つと考えられる大規模な兵器であった。
このような物を建造したという事は、未だに戦火の火種は絶えておらず、周囲の大名との戦闘に備えていた事を意味しているのでは無いだろうか。

分離部は、外見三層の天守と、四方に張り出した砲台が外見上の特徴であり、それぞれ、伝説の風林火山四天王にあやかり、『風』『林』『火』『山』の文字が掲げられていた。
この張り出した腕状部は、展張が可能であり、戦闘時の遮蔽物としての役割も担うと考えられる。


防衛戦においては、城は防衛拠点である。
特に、この天地城は大将軍の居城として、頑駄無軍団の本拠として建造されており、すなわち、防戦においては最終防衛拠点となるべき存在である。
それをわざわざ敵の目前に晒すという事をするであろうか。

仮説として、天地城の自走部分は城というより、最初から移動要塞として建造されており、本来の意味での城は、非・自走部分に集約されているのでは無いだろうか。

また後述するが、復活する事となる『三代目大将軍』の能力は、極めて短時間の戦闘行動の為に特化されていた、という説もある。
後の頑駄無軍団の時隠攻撃に際して、天地城はその最前線まで大将軍を運んでいっている。
もしかすると天地城は、大将軍を最前線まで護送する為に移動機能を備えたのかも知れない。

移動速度に関しては具体的に述べられた資料が存在しないが、若殺駆頭の天地城奇襲の最中、急遽移動を開始している事から、この時には歩兵の足でも十分追いつける速度で動いていたと推測できるが、その後、かなり西方に位置すると思われる時隠国との国境まで数時間程度かそれ以下と思われる短時間で移動している。

移動の際、進路上の木々を薙ぎ倒している描写があるが、まばらな障害物ならばともかく、森林や市街地の走行は事実上不可能な筈であり、天地城の進路は、あらかじめ何らかの形で整備されている必要がある。
つまり、天地城そのものは移動可能であっても、移動先や移動経路は制限されているという事である。
急遽の時隠突入が可能であったという事は、頑駄無軍団は時隠方面からの敵の侵入、もしくは天地城による時隠への侵攻を考慮し、天地城を通せる経路を確保してあった、という事も考えられる。


後の『天下泰平編』の四大将軍の居城の位置から、旧頑駄無城の跡地は愚羅灘、そして天地城は邪武楼に建造された、と仮定できる。
立地的に、時隠があるとされている西方に近付いているが、これも、前述の天地城の移動経路確保の為であるのかもしれない。
もしそうなら、頑駄無軍団はこのとき既に、時隠への侵攻を目論んでいたという事になる。


天地城の完成祝賀の奉納を兼ね、壮大な模擬合戦が催される。
赤と黒の軍に分かれ、赤組の大将に武者頑駄無、黒組の大将に精太を置き、実戦さながらの戦いが繰り広げられた。
勝敗の判定は明らかになってはいないが、恐らく「陣取り」的なものだったのでは無いだろうか。
合戦場の背後には、天地城の移動城塞部分が置かれており、周囲は障害物の無いかなり広い平地で他の城塞構造物が見られない事から、合戦が出来るだけの広い場所に天地城を移動させて行われたものと思われる。

戦闘は大将同士の一騎討ちとなり、武者と精太は激しく剣を交わらせたが、その最中、二人に閃光と共に異変が起こり、鎧の色や形が変化し、それぞれ信玄、謙信、と名乗り、何かに取り憑かれた様に、他の者の制止を振り切って壮絶な死闘を繰り広げる。
謙信の斬撃を信玄が軍配で受けとめた途端、二人は閃光に包まれ元に戻り、異変の間の記憶は一切無かった。
後に、この異変は『天と地の合戦』として語り継がれる事になる。

武者と精太は、後にこの時の功績を認められて昇進しているが、この『功績』とは、二人が異変を起こした後の事では無く、それまでの合戦の運びの事であると思われる。
模擬合戦自体は、事実上、この時点で中断され、恐らくそれまでの進行状況から勝敗が決せられたか、或いは、一般の将兵には、この二人の死闘が引き分けに終わった事により、両軍ともに引き分け、として収められたのかもしれない。


二代目大将軍の討死以来、天地城の落成までのおよそ十年の間、空席であった大将軍の座に、武者頑駄無が就き、三代目大将軍を襲名する。

この長い空白には、大将軍の継承方法に関係があるのかもしれない。
三代目大将軍から四代目大将軍への継承の際、荒裂駆主は、三代目大将軍の墓前にて墓石に刻まれた頑駄無結晶から放たれる閃光を浴び、光の中で大将軍の姿へと変化を遂げた、と言われている。
これは、墓石に刻まれていた結晶は、実は本物の頑駄無結晶だった、もしくは、墓には遺体と共に大将軍の鎧や装具が全て納められており、それが作用した、等と解釈できる。
また、一説には『天と地の合戦』の後、死後、神となった二代目大将軍よりの託宣と共に紛失していた『頑駄無結晶』が武者頑駄無の手に渡された、とも言われている。

これらの事から、大将軍の継承は、その力の源である『頑駄無結晶』を以って行われる、と仮定できる。
つまり、二代目大将軍が壮絶な爆死を遂げ、その力を伝えるべく頑駄無結晶も砕け散って行方が知れなくなってしまっていたのだ。

『大将軍』という職のみの継承ならば可能であったであろうが、闇に対抗する、守護神的な存在としての継承が不可能ならば、形式だけの継承には何ら意味は無い、との判断であろうか。
頑駄無軍団の統率は、この時期まで未だに雷の手に委ねられており、軍団の最高位としての大将軍職は不要であったのかも知れない。


武者頑駄無が大将軍に抜擢されたのは、前述の『神託』説の他、先の模擬戦の功績があった、とも言われているが、それ以前に、頑駄無軍団最精鋭にして、軍事的指令系統の上でも将頑駄無の直下で全ての将兵の上に立つ『武者七人衆』の筆頭であり、そして初代大将軍・鳳凰の甥、二代目大将軍の従兄弟、と、血筋的にも全く申し分無い、確定的な人選であったと言える。

恐らく、この武者頑駄無の大将軍就任を境として雷は将頑駄無を辞して、軍団から身を引き、隠居したと推定される。
武者頑駄無は彼の嫡子でもあり、己の子が軍団の最高位に就いた事により、老いた自らの役の終わりを悟ったのかもしれない。


天地城落成、そして三代目大将軍の就任を境に、頑駄無軍団の人事は大きな変化を見せる。

まず、長年、将頑駄無として軍を取りしきってきた雷が隠居し、その後任に精太が就く事となる。
先の模擬戦の際にも、武者頑駄無と並んで総大将を勤めている事などから、当時の七人衆の中でも武者に次ぐ評価を得ていた事と思われ、「代々武士の家柄」でもある事、そして何より軍師としての優れた情報処理能力、判断力は、正に将頑駄無として相応しいと思われる。

精太は、鎧を新たにしつらえ、両肩には頑駄無軍団の印である十字がはっきりと刻まれ、将頑駄無である事を強く主張した意匠となっている。
また、将頑駄無となるものには、ある条件を満たさなければならない慣わしがあるという。
それは、まず武芸百般、特に弓術に秀でている事。
これは、大将軍を、恐らく古くは大君を最も身近に守りつつ戦う為の技能として求められている、と言われているが、弓に関しては、軍師が戦に伴う様々な儀式を執り行う役でもあり、様々な場面で弓矢を道具として用いる事から、その扱いに長けている事が重要視されているのかもしれない。
精太は、弓術に関しては軍団随一と言われる使い手である為、この点は全く問題無かった。

そして、もう一つは、髭を生やす事。
恐らくこれも朝廷時代に生まれた慣わしと思われるが、詳細は判明していない。
後の衛府幕府では髭を生やしていない将頑駄無を見受けられる為、時代と共に意味合いが薄れて、廃れていったと思われる。
しかし、この時代にはまだ厳格に守られていたらしく、精太は将頑駄無就任と共に口の上に長く髭を伸ばすようになった。


三代目大将軍の就任と共に、従来存在しなかった『副将軍』という職が設けられ、農丸が就任する事となる。

この時代、仮のものとはいえ平和が戻り、大将軍には、傘下とした多数の大名の所領を束ねる政治的な手腕も要求されたと思われる。
その為、大将軍の補佐としての役職が求められたのかもしれない。

軍事的な面を一括して受け持つ将頑駄無に対し、大将軍の職務を全面的に支える役目であったのだろう。
また農丸は、武者頑駄無の双子の兄弟でもあり、精神面でも大きな支えとなった事と思われる。

副将軍が合戦時に用いる鎧は三代目大将軍のものに酷似しており、双子故の顔形の一致とも併せ、影武者、もしくは身代わりとして敵を撹乱する役をも担っていた事が覗われる。
正に、全存在を以ってして大将軍を支える役であったのだ。

農丸は更に、以前よりの隠密衆の束ね役としての役も引き続き受け持っており、しばしば自ら姿を変えて諜報活動を行う事まで行っていたと言われている。
それ故、それを知る者から『隠密将軍』との二つ名で呼ばれる事もあったという。


殺駆頭は、時隠の後継として、己の子である若殺駆頭を育て上げていた。
若殺駆頭は、この当時、およそ十五歳前後であったと思われ、殺駆頭の子としてはほとんど末子に近く、殺駆頭が雷と同年輩である事から考えると、異例とも思えるほど後年になってから設けられた子であり、通常なら孫として通用する年齢差である。

一つの仮定として、このような説もある。
殺駆頭の跡目を継ぐべき子のほとんどは、長きに渡る戦乱で死に、残った者には大国となった時隠を統べる器が無かった。
故に殺駆頭は、老齢となって尚、跡目を譲らず自ら軍団を率い、更に、己の死後、時隠を統率する者として、新たに己自身の子を設けた。

或いは、長年の戦いの中で負傷し、子を成す事が極めて困難な体になっていた、という事も考えられる。
殺駆頭は大変な子煩悩であったとも言われており、ギリギリの所でようやく授かった子であるとしたなら、それも頷ける話である。

若殺駆頭は、文武に優れた心優しい少年であったと言われているが、彼が元服を迎えたとき、何者かが『暗殺剣』なる剣を彼の元に贈る。それを手にして以来、人格が豹変したと言われている。
そして、時を同じくして、殺駆頭が死去する。
しかし、事実は若殺駆頭が暗殺剣を得た夜、その力を以ってして仮死状態に陥れたのだ。
殺駆頭死去の報は、他国に対しては一切を極秘とされた。
そして、跡目には元服を迎えたばかりの若殺駆頭が就き、この時より、長く続いた和睦の時代を捨て去り、『闇軍団』の再結成の為に動き始めたと思われる。

時隠国を統べる将となった若殺駆頭は、時隠と周囲の国々の交流を一切断ち、鎖国する。
鎖国し、周辺国との繋がりを断つという事は、『闇軍団』諸国との同盟関係をも解消するという事を意味している。
如何に時隠が大国であったとしても、既に天下は頑駄無軍団諸国と、闇軍団諸国とにほぼ二分されていると言っても良く、この状況下で孤立するのは軍事的には大変に不利な事である。
この明らかに他国の不信を誘う鎖国が、直ちに軍事的な謀略であると見なされず、頑駄無軍団などが挙兵しなかったのも、そうした事情からかもしれない。
実際は、この同盟解消は表向きの事のみであり、密かに若殺駆頭を中心とした闇軍団の新体制化と新たな合戦の準備、そして『闇将軍』の復活準備などが行われており、こうした動きの全てが全く露見しなかった事は有り得ないと思われる。
それでも、頑駄無軍団側も表立った動きを控えざるを得なかった背景には、これまでの雷と殺駆頭の尽力、によって築かれた両勢力の歩み寄り、それによる和平を反故にする事になりかねなかったからでは無いだろうか。

結果的に、一時の和平を惜しみ、再度の戦火を未然に防ぐ事が出来なかったとも言える。


頑駄無軍団側は、時隠の鎖国、それに伴う闇軍団諸国の一連の不可解な動きに不信を感じていたものの、時隠の警戒は並みならぬものであったらしく、事を起こす為の具体的な証拠となる情報を得られずにいた。
正式な記録は残っていないが、この時、頑駄無軍団側は時隠側の密通により初めて有力な情報を得る事となる。
それは、『阻路門の風神・雷神』と呼ばれる時隠の密偵達によってもたらされた。
殺駆頭の忠実なる臣であった彼らは、仮死状態となった殺駆頭を救うべく、最後の望みを賭けて時隠を脱出し、頑駄無軍団の元へと参じ、殺駆頭の窮状、時隠の異変を知らせたという。


『阻路門の風神・雷神』の密告により、一連の事態の真相を得た副将軍・農丸は、己の養子として元服させた荒裂駆主に密かに『光の玉』の捜索を命じる。

『光の玉』は、互いに呼び合うものと思われ、荒裂駆主が捜索を開始して直ちに『マキ』の玉の主、風雷主に出会い、その後には『マー』の玉の主、江須、『ビー』の玉の主、百士鬼改に。次々と出会っている。江須と百士鬼改は既に行動を共にしている事など、これらのとても偶然とは思えない順調な出会いからも裏付けられ、自らも『アス』の玉の主である荒裂駆主が適任であったと思われる。

そして農丸は来たるべく再びの闇との戦に備えると共に、各地に散ったかつての武者七人衆に招集を掛け、新たな戦いへの備えを開始したのであろう。


この時期、闇軍団の主要な武将や戦闘要員が頑駄無軍団の領地へ侵入し、頑駄無軍団との戦闘を行っている。
ついに闇軍団は頑駄無軍団との和平の破棄を明らかな行動で示したのだ。

この時期の闇軍団の侵攻は少数精鋭にて行われたと思われ、大規模な合戦の形跡は記録されていない。
劇中では巨忍一族から璽悪を中心とした精鋭部隊、堂我一族から漣飛威などが確認されている。

これらの者達の目的は、後の歴史が示す通り後の天地城攻略の為の陽動であったのだが、恐らくは出城や関所などの各地の拠点を強襲し、後の本格的な侵攻の足掛かりを得ようとしたと見せかけたと思われる。
詳細な作戦概要は知れないが、物語中の様子を見る限りこの陽動はかなり的を射たものであったらしく、頑駄無軍団側は戦力を各地に分散させた状態で天地城を攻められる事となったのだ。


頑駄無軍団領の各地に闇軍団が出現し、その掃討に戦力を割いていた最中、突如として若殺駆頭自らが率いる軍勢が天地城を奇襲した。
闇軍団は、璽悪率いる巨忍軍団、砕虎魔亜屈率いる悪沈軍団などから成る大部隊を奇襲開始の時刻に国境付近で行軍させ、そちらを主力と思い込ませるなど、様々な手を用いて頑駄無軍団側を撹乱したと思われる。
結果的に、奇襲攻撃が始まったとき天地城に残っていた主力となる武将は仁宇のみであり、軍団を率いる将頑駄無・精太すら、城に辿り着いていなかった。

これにより、一時は陥落も時間の問題と思われたが、密林の摩亜屈を始め、集結した『四天王』の参戦、将頑駄無の帰還により辛くも持ちこたえる。


体勢を立て直した頑駄無軍団は、更に『火炎の駄舞留精太』がもたらした『火種』により天地城の動力を始動させ、攻勢に転じ、撤退する若殺駆頭ら闇軍団に対し、大将軍は、天地城の時隠突入を命じ、追撃する。
時隠への道程にて、璽悪と砕虎魔亜屈率いる部隊と荒裂駆主たち若武者四人との戦闘に遭遇し、闇軍団は陽動に用いていた大部隊と合流し、ここで後退を止め、頑駄無軍団を迎え撃つ構えを見せる。

劇中、若殺駆頭は、大将軍が時隠へ乗り込んでくる事を望んでいた様にすら見受けられ、もしかすると、最初から時隠へ誘い込むつもりで全軍の半分にも相当する巨忍・悪沈両軍を国境付近に置いていたのかもしれない。


砕虎摩亜屈は、前大戦時にその胸に光の欠片を受けていた。
しかし、光の欠片を追う様に飛来した闇の欠片が、光の欠片を覆い隠す様に取り付き、彼は『ジュ』の玉の主でありながら、これまでその光の力を一切発揮する事は無かった。
その場に集った、四つの『光の玉』、大将軍、そして彼と対峙していた実の兄・斎胡、その内いずれか、もしくはその全てが引き金となって、封じられていた『ジュ』の玉が突如激しい閃光を発し、『闇の欠片』を弾き飛ばした。
そして、砕虎魔亜屈はその場で闇軍団を離反し頑駄無軍団に付く事を兄に宣言する。
その時、斎胡魔亜屈は「あの光に打たれて目が覚めた。」と言っているが、頑なであった彼の心を動かしたのが何であったのか、はっきりとは分らない。
一度は袂を別った兄との再会が、彼の心に揺さぶりを掛けたのだろうか。


『ジュ』の玉の覚醒により、その場に五つの光の玉が揃い、それらの光は三代目大将軍が持つ光の玉『サン』、すなわち頑駄無結晶に集まり、頑駄無大将軍は復活を遂げる。

蘇った『三代目大将軍』の能力は、二代目のそれを大きく上回っていたと言われている。
しかし、例えば主兵装である大目牙砲に至っては、「千倍の威力」というとてつもない表記まで見られる程で、これはあまりに過剰であるように思える。
元来、頑駄無結晶は不完全な状態で生み出され、以来、初代では完全な敗北、二代目では相討ちとなって四散するなど、およそ弱体化こそ有り得てもも、大きな強化が望めるとは思い難い。
一度、五つに分割され、それぞれが新たな宿主の元で自己進化を遂げて、再び一つになる事で強化を果たしている、という解釈もあり得るが、その分割された『光の玉』の力を振るう五人の(実質は四人の)武者を見る限り、『千倍』という値はやはり想像し難い。

一つ、考えられるのは、ある種の定方向進化ではないか、という事である。
初代、二代目と、二度の敗北を(二代目は相討ちではあったが)経験した頑駄無結晶は、残りの限られた力を最大限に活かし、今度こそ闇皇帝を完全に撃破すべく、自らを調整した、という考えである。
その調整によって「千倍」という過剰な値が出たとしたなら、恐らく結晶が行ったのは、持てる力を極端なまでに短時間に燃やし切る、短期決戦型の調整であろう。
すなわち、この場合、三代目大将軍がその絶大な力を振るって戦闘を継続できるのは、初代、二代目と比べてごく僅かの時間に限られる、という事である。
失点を重ねてきた『光』の側は、ここで大きな賭けに出る事を余儀なくされたのかもしれない。


大将軍の復活に呼応するかのように、五つの闇の欠片が宿主の体を勝手に離れた。
そして、その場の土中より突如として現れた殺駆頭の体に次々と取り憑き、殺駆頭は『復活闇将軍』へ変貌して蘇った。

この新たな闇将軍には自意識の存在が感じられず、背後の若殺駆頭に取り憑いた闇皇帝に操られていたものと思われる。
その戦闘力は、先代に比べて強化されたものと思われ、三代目大将軍と互角に剣を交えている。

新生武者五人衆の『光の玉』とこの『闇のかけら』の最も大きな違いは前述通り、『かけら』そのものが新たな『闇の鎧』となる事である。
そしてこの『かけら』は闇皇帝の肉体そのものであるといわれており、恐らくは実体を失った闇皇帝が復活する為の器として殺駆頭が利用されたのであろうが、疑問なのは、何故、年老いた殺駆頭を一度仮死状態にしてまで再び『闇将軍』としたのであろうか。
この時代の殺駆頭は、推定六十代から七十代前半の老人なのだ。
軍団の実権も既に若殺駆頭が握っており、殺駆頭をそうまでして利用する必要は無かったと思われる。

考えられるのは、適性、であろうか。
先天的に持って生まれたものか、或いは、一度『闇将軍』となる事によって植え付けられたものか、殺駆頭には『闇』の媒体となるべく適性があった、と考えるのがこの場合適当であろう。
もしなれるのなら、若殺駆頭を『闇将軍』にした方が、無理は無いと思われる。

前回の大戦において『闇軍団』は、己達の背後にある存在が本物の『闇の権化』である事を確信せずにいたと思われるが、今回は、四大軍団長に『闇のかけら』が取り憑き、しかもそれらが時折見せる人外の力によって、これを『闇皇帝』や『闇』の力と結びつけて考えなかったとは思えない。
新旧体勢の闇軍団の最大の違いは、この点、闇の力を積極的に受け入れ、己がものにしようとした点では無いだろうか。


闇将軍の出現と共に顕著に高まった『闇の力』の出所が、闇将軍本体では無く、若殺駆頭である事を悟った副将軍農丸は、直ちに若殺駆頭を狙撃し、撃ち倒す。(生死は不明)
すると、若殺駆頭の体より黒い巨大な影が抜け出て、闇将軍の背後に異様を露にした。
その姿は、正に『闇皇帝』そのままであり、大将軍はそれを闇皇帝の邪悪な魂である、と言った。
その影を確認すると、大将軍は砕虎摩亜屈(頑駄無軍団参入時に”魔”の一字を”摩”と改名)より、『閃光剣』を受け取り、これを抜刀。
この『閃光剣』は、砕虎魔亜屈が光の玉を受けたとき、いつの間にか装備されていた剣で、怪力を誇る彼でさえ、その鞘から引き抜く事が出来なかった、という謎めいた剣であった。
三代目大将軍は、砕虎摩亜屈(もしくは『ジュ』の玉を持つ者)が『閃光剣』を所持している事、それが己のものである事をあらかじめ知っていたのであろう。

抜刀した『閃光剣』は、刀身そのものが黄金色の光を発しており、大将軍がそれを高く天に掲げると、眩いばかりの光の奔流を噴き出し、元の何倍もの長さに至った。
そして剣を一閃させると、一撃の元に闇将軍の『闇のかけら』を打ち砕き、これを撃破したのだ。

殺駆頭はこれにより開放されたが、地に倒れ伏した彼は息はあるものの意識は朦朧としているらしく、その後、命を取り留めたかどうかは定かでは無い。
この時、殺駆頭に真っ先に駆け寄ったのは、堂我一族の漣飛威と厄斗である。
堂我一族は殺駆頭への忠義から再び闇軍団に荷担していた、とのことで有り、殺駆頭への忠義心は他の者達に勝るものだったのだろう。

若殺駆頭は、副将軍に狙撃されているが、これは、闇将軍の出現に闇軍団側の陣がかなりうろたえ、浮き足立っていたという事になるのでは無いだろうか。
通常ならば、総大将には流れ一本近付けないよう、厳重に警戒しているはずである。
やはり、『闇の力』に頼っていると分ってはいても、死んだはずの前主君が土中から這い出て、怪しい『闇の鎧』をまとって動き出したとあらば、うろたえるもの分らないでは無い。

『闇将軍』は撃破されたが、中空に異様を誇る闇皇帝の影は消える事は無く、『光』と『闇』の対決は、最高潮を向かえる事となる。


大将軍の号令により、『風林火山四天王』と、光の玉を持つ荒裂駆主以外の四人が光に包まれて飛び上がり、中空に激しく弾ける光の索で結ばれた八角形の円陣を構成した。
正史において初めて完全な『八紘の陣』が現れた瞬間である。

この『八紘の陣』は大将軍の力と大きく関連していると思われ、古来から大将軍と共にしばしば現れ、その巨大な力を発揮している。
今回も、実体を失っているとはいえ衰えを見せない闇皇帝に対抗する為の手段であると思われる。

大将軍は、荒裂駆主に、闇皇帝を倒すよう命じ、閃光剣を手渡す。
これは、かなり意外な事である。
闇に対抗するべく頑駄無大将軍が、その任を他の者に委ねたのだ。

荒裂駆主は光束のほとばしる閃光剣を携え、超鳳凰形態の三代目大将軍の上に乗り、闇皇帝の影の真正面に布陣された『八紘の陣』の中央に飛び込んだ。

劇中では、ここで荒裂駆主の意識は途切れており、この時、何が起きたかは不明である。

荒裂駆主の養父である農丸は、「おまえの力を見せるときが来た。」と荒裂駆主に呼びかけており、大将軍も「闇皇帝を倒せるのは、荒裂駆主、お前だけだ。」と言っていることから。この時の事を予測していたようにも思える。
荒裂駆主は、この後、時間を飛び越え、約四十五年前の過去に辿り着き、黒魔神と初代大将軍の戦いの結果を塗り替えてしまう事になる。
三代目大将軍は、この時、時間跳躍を経て帰還した後の荒裂駆主の為に遺書を残しており、その事からある程度の事実は知っていた事と思われる。

荒裂駆主が宿した光の玉『アス』には『魔を断ち切る者』という意味があるといわれており、それは正しくこの事を指し示しているように思える。
『アス』の玉は、他の玉の様に三代目大将軍復活の鍵であるだけでは無いという事であろう。


正史では、この後に起きたことは不明であるが、歴史改変後の様子から推測する事は可能である。
恐らく、荒裂駆主は『八紘の陣』の中央を潜り抜けた瞬間消え失せ、その後、三代目大将軍と闇皇帝の死闘が繰り広げられたのであろう。

そして三代目大将軍は討死し、闇軍団が体勢を立て直したのか、或いは闇皇帝自らの手によるものか、天地城は破壊され、頑駄無軍団は全滅する事となる。

一説には、この後、将頑駄無・精太を始め生き残った頑駄無軍団の残党が、消えた荒裂駆主を捜索したとも言われている。
三代目大将軍が残した『闇皇帝を倒せるのは荒裂駆主だけ』との言葉を頼りにしての事であろう。
しかし、頑駄無軍団という組織はもはや完全に瓦解しており、生き残った少数の者も程無く狩り出されたと思われる。

戦国時代はこれにより事実上幕を閉じ、闇軍団を中心として天下は統一されたと思われる。
ただし、それは闇皇帝が政治的な支配を自ら望んだ、もしくは闇軍団に許した場合の話である。
この時代、もはや闇皇帝に対抗し得る者は無く、もし闇皇帝が殺戮を望んだなら、天宮は『暗黒軍団』跳梁の時代を遥かに超える被害を受け、血河屍山に覆い尽くされるだろう。

『光』と『闇』は常に等価である以上、いずれまた大将軍か、それに値する天の将が現れる事は自明であろう。
どちらの永続的な『勝利』は、有り得ないのである。


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